異色の将棋漫画が注目を集めている。タイトルは『将棋の渡辺くん』(講談社)。著者は、棋士である渡辺明名人の妻・伊奈めぐみさんだ。

 渡辺明名人といえば、現在、名人のほか、棋王、王将の3つのタイトルを持つトップ棋士のひとり。理知的で研究家といった印象だが、この漫画で描かれる名人は「ぬいぐるみ好きの虫きらい」など、意外な一面がたくさんある。

 連載開始は2013年で、これまで単行本が5冊出ている。将棋界に与えたインパクトも大きく、日本屈指の将棋本を揃えるジュンク堂書店池袋本店の中崎悠人さんは、自身も大ファンだとし「将棋ファンを増やしている作品だと書店の店頭からも感じます。気軽に将棋界の雰囲気や棋士のキャラクターを味わえるので、将棋棚にはかならず揃えておきたい作品ですね。ちなみに販売数は池袋本店だけで、5冊合計で1200冊を超えています」とその人気ぶりを語る。

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 このインタビューでは、この異色の人気漫画がどのようにして誕生したのかを、将棋、渡辺明名人、漫画という3つの出会いを軸に話を聞いた。(全2回の1回目。後編を読む)

不登校だったころ、兄の部屋で見つけた将棋の本がきっかけで将棋を始めたという伊奈さん

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不登校だったので、やることがなかったんですよ

伊奈めぐみさんは、1980年生まれの現在40歳。7歳上と5歳上に2人のお兄さんがいるのだが、5歳上のお兄さんは、プロ棋士である伊奈祐介七段である。そして伊奈めぐみさん自身も、研修会と女流棋士の養成機関であった女流育成会に所属していた。こう聞くと将棋一家として育ち、その環境のなかで渡辺明名人と出会った――といったストーリーを想像するのだが、まったくちがうそうだ。

伊奈 父は、将棋のルールくらいは知っていましたが、当時趣味でやっていたということもありません。ですから兄も私も、家庭環境ゆえに将棋を始めたわけではないんです。

――では伊奈さんは、どうやって将棋と出会ったんですか?

伊奈 私が、中学1、2年生の頃に、当時18歳で奨励会三段だった兄が、家を出たんです。それで兄の部屋を使うようになったのですが、そこにたくさんの将棋の本や棋譜があり「私もやってみようかな」と思ったのが、将棋との出会いでした。

伊奈さんは、これからほどなくして「女流棋士になろう」と将棋の勉強を始めるのだが、その背景には中学校に通っていなかったという事情があった。不登校の理由はパニック障害だったという。

 

伊奈 そのとき不登校だったので、やることがなかったんですよ。視野が狭かったというのもあると思うんですけど、他に何もできないと思っていました。学校に行くのをやめてしまって、何ができるんだろう……。何もないと思ったら、たまたま将棋に出会った。だからそのときは、将棋を仕事にしたいと思っていました。