昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

《川崎中1男子殺人》「刃先が肉を裂き、“うっ”と声を上げて前かがみに…」43カ所切りつけ殺害した少年が、事件後に送った一通の“メッセージ”

『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』より#2

2021/07/19

genre : 社会, 読書

 2015年2月20日未明、凍てつくような風が吹き付ける中で、中学1年生の少年は全裸で血にまみれ、息も絶え絶えに河川敷の草地を這っていた。口からは助けを求めるかすかな呼吸が漏れていたが、誰にも届くことはなかった。

 少年の全身に刻まれた作業用カッターによる切創は43カ所に及び、そのうち首の周辺だけでも31カ所に達していた。無辜の少年はなぜ命を奪われたのか。事件の全貌をノンフィクションライター・石井光太氏による『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(新潮社)より一部抜粋して、紹介する。(全2回の2回目/#1を読む)

◆◆◆

上村遼太=事件当時13歳。事件の被害者である。先輩たちの中でも特に多田剛を兄のように慕っていた。

千葉虎男(仮名)=事件当時18歳。事件の主犯格とされている。非行がもとで鑑別所に収容され、定時制高校の卒業が難しくなったことにより、似たような境遇の少年と遊んでいた。

多田剛(仮名)=事件当時17歳。高校を中退し、フリーターをしていた。遼太くんを「カミソン」と呼び、弟のように可愛がっていた。

清水星哉(仮名)=事件当時17歳。虎男と中高が同じ。お互いに酒を飲むことが好きで虎男と頻繁に会っていた。

 

 虎男、剛、星哉は知人を介して遼太君と知り合い、親交を深めていた。ある日、虎男は酒を飲んだ勢いで遼太君に手を上げて、顔に怪我を負わせてしまう。これに怒った遼太君の学校の先輩とその兄である吉岡兄弟は、虎男が賽銭泥棒をして金を持っているのを知ると、遼太君に暴行したことを口実に、家に押しかけて、警察沙汰を引き起こす。2015年2月19日の夜、虎男は遼太君を夜中の多摩川の河川敷へと連れて行き、タンクトップが血で赤く染まるまで、カッターで首や頰を切りつけ、真冬の川で泳がせた。

「おい、もう1回泳げよ」

 携帯電話を取られたことで助けを呼ぶこともできなくなった。剛は「わかった」とカッターを受け取り、全裸の遼太のもとへ歩み寄った。

 遼太が怯えた目で、「ごめんなさい」と口を動かす。謝れば許してもらえるのではないかと思ったのだろうか。剛は「ごめん」とつぶやき、そんな遼太の首をカッターで切った。刃先が肉を裂く。遼太は「うっ」と声を上げて前かがみになる。

※写真はイメージです。 ©iStock.com

「これでいい?」と剛は言った。

「まぁ、いいや」

 虎男は誰も致命傷を負わせられないことに焦(あせ)っていた。苦し紛れに言った。

「おい、もう1回泳げよ」

 遼太は歩こうとしたものの、足元はふらついていた。出血と寒さで朦朧(もうろう)としていたのだろう、護岸斜面を滑り台から落ちるように川へと入っていく。

 剛がその様子を見て言った。

「やばいんじゃね……」

 それでも川の半分ほどまで進んだ時、虎男は再び遼太を呼びもどした。

「もういい。帰ってこい」

 遼太はなんとか護岸斜面を登ってきたが、その場に膝から崩れ落ちた。口からは白い息が出ている。

 虎男は剛を促した。

「もう一度やれ」

 今度は抵抗することなく、カッターを握りしめた。一度手を下した以上、何度やっても同じだという感覚に陥ったのだ。それにこのままでは次に標的にされるのは自分かもしれない。

 剛がカッターを持って近づくと、遼太は正座を崩したようにすわり込んだまま目に涙をたくさん浮かべ、口を動かした。先ほどと同じように「ごめんなさい」と言っているようだが声にならない。剛は首の左側に刃を当てると、一気に喉(のど)に向かって引いた。血がほとばしる。