「“お笑い何でも引き受けます”それがボクの商売や」
そう考えりゃ、われわれが舞台でしゃべる話術というのは、リアルやないほうが良しとされる部分があったんでしょうね。できるだけきれいに、流暢にしゃべるのがいいということだったんです。『言葉を選んで強弱をつけて』という工夫は噓になってしまうんですね。噓は噓として、より良い噓をついてくれる人を良しとしたわけですから、ぼくらもそれを目指して一所懸命に練習したわけです。
ところが、テレビというのはリアルを良しとするもんやから『立て板に水』よりも『横板にトリモチ』でええんです。なんぼ口慣れてても、流暢にしゃべったらあかんのです」(上岡龍太郎『上岡龍太郎かく語りき 私の上方芸能史』筑摩書房、1995年)
さんま「芸なんていえるもんやないですが、ボクは律気(原文ママ)なんです。ボクの漫談は軽卒(原文ママ)かもしれませんが、真実があると思ってます。ネタは町を歩いていてさがすんですわ、おもろいことばかりいろいろころがってまっせ」(「平凡」1981年2月号)
さんま「ボクの芸? 素人みたいモンや。(中略)だけどやね、芸人としては日本一ですよ。そう思わなんだら、やってけしまへん。何が何でも、ボクは笑わせますよ。笑わすためには手段を選びません。
でもネ、お年寄りばっかりの舞台、アレはダメ。ぜーんぜん受けないときがある。そんなときは、これは相手が悪いと、ま、あきらめることにしてます、ハハハ」(「アサヒ芸能」1982年9月9日号)
さんま「タレントでっしゃろな、今、ボクにピッタシの肩書きは。ほならどういうタレントかというと、笑わせ屋。かというて笑われ屋、失笑されとんのとはちゃいますよ(笑)。間と、言葉のセンスのふたーつだけで、こっちから笑わすわけや。自分は凄いと、自己暗示をかけながらね。(中略)
コレッというて売るもんはない。そやからアクがのうて、顔も中途半端で、さわやかなだけやと思われてしまう。間とセンスだけいうボクの芸は、認めてもらいにくいんでっしゃろね、しゃあないことやけど」(「週刊現代」1983年3月5日号)
横澤彪「彼は、芸がないところがいいんですよ。少なくとも『これが芸ですよ』と見せないところがいい。決め技がないところがいいんだな。しかし、センスはいいですよ」(「アサヒ芸能」1982年9月9日号)
さんま「この世界、一流の人は名人上手や言われる人のテープ聞いたりネタ帳作ったり、よう勉強してますけど、ボクは、こんな商売そんな大そうに思ってへんのです。(中略)
ボクが演芸に凝ったらファンに飽きられます。(中略)
落語家とか漫談家の名刺は欲しくないんや。目の前にいる客を自分の持っているもので笑わせることができたらええと思ってるんです。ま、しいて言うならスタンディング・ジョッキー言うとこですか。笑わせ屋、笑われ屋でええ思うとるんです。“お笑い何でも引き受けます”それがボクの商売や。とにかくおもろかったらそれでええやないか。人生かてそうですネン―(中略)
一応ギャラもろうてんねんやから、いつも80点はとろうと思うとるんです。ホンマは世間話や雑談でウケるようになれたら芸人として最高になれるでしょうネ」(「週刊明星」1983年7月28日号)
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