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「大阪での評価は非常に低かったんです」  “芸なし”と評された明石家さんまが一躍人気を集めるようになった“意外な助言”

『明石家さんまヒストリー2 1982~1985 生きてるだけで丸もうけ』より #1

2021/07/29
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「無尽蔵に話がずーっと尽きずに出てくる」

大平サブロー「初めて会ったときにねぇ、明石家さんまはんは、やっぱりねぇ、出てる匂いに負けたなっちゅうか、なんか、ちゃうなぁっていう。舞台出た瞬間からバーッとなってんねやったら別に、勝負してもええと思うけど、あの人は睡眠時間3、4時間で、あのテンションを、目ぇ開いてから閉じるまで20時間近く維持してる。

 なんば花月の楽屋で僕とシローちゃんがふたりでしゃべってて、“ほんで昨日な、飲みに行ったらこんな奴おってなぁ”って言うてたら、“おぉ~、ほんまかいなぁ~”から入ってくるんですよ。“おぉ~、ほんまか~い、ヒャー!(笑い声)”言うて。“ほいで、ほいで、ほいで?”言うて。“ほいでね”“あ~、そうかいな~”言うて、そっから自分の話にもっていくんですよ。

 普通やったら、横から“おはようございます”って言うといて、“うんうん”って話を聞いて、“いや、それやったら僕もな”って入るのが普通やのに、“おぉ~! ほんまかいなぁ~! ヒャー!(笑い声)”言うて。そのときに、“すごいな”と。ほいで、無尽蔵に話がずーっと尽きずに出てくる。それをずーっと維持してるし。

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 負けたというより、これは勝てんやろなという。だから僕らはものまねしたり、漫才を一生懸命やっていくしか挑む道はないなぁと思ってました」(毎日放送『たかじんONE MAN』2000年10月18日)

「ほんま、人を笑わせるいうのんは楽しいですよ」

さんま「まあ、ぼくは自分を落語家やのうて、“笑わせ屋”やと思うてますからね。そやから、いまは、人を笑わせるためならなんでもやりますわ。笑わせるためにパンツを脱げいわれたら脱ぎます。

 ほんま、人を笑わせるいうのんは楽しいですよ。そやからいま、レギュラー8本で、ふた晩寝てなくてもがんばれるんですわ。(中略)

 ぼくは、舞台へ出ると、客席にいい女の子がおらんか探すんですわ。いい女の子がおると、なんとかその子を笑わしたろ、そしてオレに好意をもつようにさせたろ、そう思うてがんばるんですわ。(中略)

 おしゃれすんのも、テレビに出て人を笑わせるのも、女の人がおるからですわ。そんなもん、女の人がおらんかったら、落語家なんかやめてルンペンになってますわ。

 体にゴザ巻いて、寝っころがって、そのほうが楽ですがな。(中略)

 結婚は30才までしないつもりですけど、子供はいますぐにでもほしいですね。もう、めちゃめちゃに子供が好きでね、ぼく。

 紳助の子供が、この前遊びにいったら、ぼくのことを『さんまのおじちゃん』いうんです。涙が出るほどうれしかったですわ。(中略)

 男の子が3人ぐらいほしいですわ。女の子はダメ。兄貴に娘がいるんですけど、見てて、この子が将来知らん男に抱かれんのか思うと、オジとしていたたまれなくなるんですわ。(中略)

 いまでも、実際に女の子は何人かいますしね。2か月後には、また増えるかもしれへん。そうすると、はずみで結婚約束したりしますからね。それやから、30才になって、そのときにつきあってる女と結婚しようときめたんです。(中略)

 ぼくら芸人は果物屋のミカンですからね。古くなったらポイですわ。

 そやから、新しい感覚でいくために、結婚してからも浮気するでしょうし、体の続くかぎりは休みません。(中略)

 そしてね、それでも芸人として売れんようになったら、今度は、お笑いの演出家か、シナリオライターになります。そうやって、死ぬまで人を笑わせたりますわ」(「女性セブン」1982年5月6日号)

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