29歳の覚悟
1984年7月1日、さんまは、コメディNo.1、若人あきら、ザ・ぼんち、宮川大助・花子らと共に、愛媛県宇和島市で開催されたイベントに参加する。
この日がさんまの29歳の誕生日であることを知った共演者たちは、バースデーケーキと花束、プレゼントを用意し、ささやかなパーティーを開いた。
さんまは29歳となってからも、9本のレギュラー番組に加え、準レギュラー番組『なるほど!ザ・ワールド』『ヤングプラザ』、ドラマやコンサート活動など、変わらず多忙な日々を送っていた。
さんま「この世界、一度走り出したらとまらない因果な商売なんですわ。でももうアカンやろな、そろそろピークですからね。ま、人気が落ちてきたら、そしたら今度は自分の好きなことができるからええけどネ」(「週刊明星」1984年5月24日号)
さんま「30歳まであといくらも残っていません。10代、20代とふり返ってみると、ようムチャをやりました。人を笑わかすこと、サッカー、パチンコ、片思い、かけおち、ギャグ付きのナンパ、そして弟子修業。いちいち考えんと、ともかく行動してしまう性格なもんで、本人はそう感じてなくても周りがハラハラするようなムチャがずいぶんあったんやないかと思います。
けど好きなこと、興味あることにはトコトンのめり込んだおかげで、ふつうの人の5倍も6倍も密度の濃い青春を送れたような気がします。
ケネディ大統領は父親から『なんでも1番になれ。2等以下になるな!』ときびしく育てられたらしいですけど、ぼくは何事もいうのはムリやけど、こと好きなジャンルに関しては人に負けるのが絶対イヤな性分でした。その強気いうか勝気なところでどれだけトクしたかわからん思うてます」(『こんな男でよかったら』)