文春オンライン

「朝、いつも芸能界やめようと思うのよ」やっとの思いでTVに出続けていた明石家さんまが固めた“覚悟”とは

『明石家さんまヒストリー2 1982~1985 生きてるだけで丸もうけ』より #2

2021/07/29
note

「予想のつかないことが起きる。それに対応したさんまさんがいる」

タモリ「あれはねぇ、おもしろくなってきてねぇ。“あ、これはこのまま、この番組がぶっ壊れるといいな”と思った」(『FNS27時間テレビ 笑っていいとも!真夏の超団結特大号‼徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』2012年7月21日~22日)

 有吉は、さんまを呼び戻し、一緒に唄おうと提案する。タモリは再びジャケットをさんまにかけ、「帰ってよ!」をやらせる。会場は爆笑の渦に包まれ、スタッフルームにも笑い声が響き渡る。

 結局、有吉が退場したときの時刻は12時42分。黒柳に次ぐ歴代2位の出演時間を記録する。番組終了後もデスクの電話はクレームと称賛の声で鳴りっぱなし。この日の『笑っていいとも!』の視聴率は15パーセントを超えた。

ADVERTISEMENT

三宅恵介「生放送の『いいとも!』に有吉佐和子さんが出て、ものすごく長引いたんですね。

 それで、さんまさんが『オレらのコーナー、つぶされるんやないか?』と言いながらの1時間になったんですよ。

 あれは、おばさんパワーがすごいんだということで、その後に、おばさんを集めようということになって『いただきます』が、はじまったんです。

 生放送のいちばんの利点って、ああいうことだと思ったんですね。

 予想のつかないことが起きる。それに対応したさんまさんがいる……という。だから、そこから生まれた番組は、ナマで起きてしまったことを、どうおかしく展開していくか、という作りかたになりまして。

 さんまさんと作るコントも、いつも『スタートだけは一緒にしておくんですが、それがどちらに行ってしまうかはわからない』というものなんです。

 100メートル走になるか、マラソンになるかはわからないけど、トラック競技であるということだけは決めて、スタートラインにはつく。

 トラックを走ることだけは守ってくれよ、という作りかたなのですが、そうすると、なにかが生まれてくるんですよね」(Webサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』「おもしろ魂。」糸井重里・三宅恵介・土屋敏男鼎談2004年9月)