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 ライバルチームの野村克也監督率いるヤクルトから広沢克己やジャック・ハウエルを獲得するなど止まらない補強に背番号8の居場所はなくなりつつあったが、年明けのテレビ番組の「今シーズンの巨人4番はだれがいいか?」という電話アンケートで1位に選ばれたのは落合でも松井でもなく、原辰徳だった。時に「代打カズシゲ」を送られるような、ミスターの非情采配にファンは怒ったのである。

「俺らの4番打者」への感謝と惜別

 引退を懸けて臨んだプロ15年目のシーズン、満身創痍の36歳は5月下旬以降、スタメン機会すらほとんどなく、時々代打で顔見せ程度に出る立場だったが、いつからか打席に向かう度に誰よりも大きい拍手が送られるようになる。長嶋や王は歴史そのものだが、原辰徳は平穏な日常の象徴なのだ。巨人ファンは来たばかりのFA移籍組やキャリアの浅い若手にはまだ遠慮してしまう。でも、なんだかんだ長い時間を共有した原になら感情をぶつけられる。色々文句も言ったけど、結局は実家の母ちゃんが作るシンプルな握り飯が一番美味い的な「俺らの4番打者」への感謝と惜別。いわば80年代のプロ野球界が生んだ最大のメディアスターのファイナルカウントダウンは、異様な熱気を生み出すことになる。

©文藝春秋

 7月22日に37歳の誕生日を迎え、ペナントレースがヤクルトの独走態勢に入りつつあった夏、8月21日付のスポーツニッポンと日刊スポーツ両紙がついに「原引退」を報道。その時点で打率1割台に3本塁打の元4番は吹っ切れたように土俵際での意地を見せる。9月20日の中日戦ではその試合最大の大声援の中、途中出場で左翼席上段へ76試合ぶりの4号ホームランをかっ飛ばしてバットを放り投げ、お立ち台では「たまに出てもこれだけのお客さんがね、声援を送ってくれて……」と言葉に詰まるタツノリ。95年シーズン、スタメン起用はわずか26試合だった。

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「勝負弱い」と日本中から叩かれまくった男

 そして、10月1日の試合前に神宮球場のクラブハウスで長嶋監督に今季限りでの引退を報告する。10月8日の東京ドームでの引退試合はチケット発売日に即日完売、8万円ものプレミア価格がつき、消化試合のデーゲームにもかかわらず、日テレ中継の瞬間視聴率は32.4パーセントを記録。この最後の舞台で「4番サード」で先発出場すると広島の紀藤真琴から通算382号を放ち、起用法から確執も噂されたミスターと涙の抱擁を交わして、原辰徳はユニフォームを脱いだ。

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 こうして、高度経済成長期の象徴ともいえる天下のONと常に比較され、30本塁打を打って勝負弱いと日本中から叩かれまくった男の激動の選手生活は終わった。なお、80年代セ・リーグの通算本塁打数と総打点の両部門トップは山本浩二でも掛布雅之でもバースでもなく、原の274本塁打、767打点である。つまり、当時誰よりも批判されたプロ野球選手が、誰よりも結果を残したわけだ。引退セレモニーで「夢の続きがある」と宣言した若大将は、やがて監督として21世紀の巨人軍を背負い、球団史上最も勝った指揮官へと上り詰めてON越えを果たすことになるが、それはまた別の話だ。

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