「来年からは子供とアメリカで一緒に暮らしたい」
6月2日の広島戦で敬遠球を強引に打ちにいきサヨナラ打を放つ印象的な活躍もあったが、淡白なプレーが目に見えて増え、打率4割に挑戦した前年の輝きはなかった。しかも自分が絶不調でも、斎藤雅樹や桑田真澄が中心の若返った投手陣が引っ張るチームはリーグVに向けて独走している。
90年7月12日、クロウはオールスター外野手部門ファン投票1位に選ばれると、「これが、オレにとって、おそらく最後のオールスターゲームになるだろう」とコメント。7月23日には外国人記者クラブに招かれ、「来年からは子供とアメリカで一緒に暮らしたい」と具体的なプランを語り、今度こそ9月で37歳になるベテランの引退宣言かと話題になった。
球宴前から後半戦のスタート4試合にかけて自己ワーストの31打席ノーヒット。8月1日のヤクルト戦ではスタメン落ちする極度のスランプだったが、3日の広島戦で天敵の川口和久から32打席ぶりのヒットとなる決勝の6号2ランを放ち意地を見せる。
この約1カ月ぶりの本塁打から調子を上げていくが、クロマティの90年最終成績は打率.293、14本塁打、55打点という来日以来最低の成績に終わった。それでも、藤田巨人は88勝42敗で2位広島に22ゲーム差をつけ、9月8日に右膝靱帯断裂から復活を遂げていた吉村禎章の劇的サヨナラ2ランで、史上最速の大独走リーグV2を達成する。
日本シリーズでエキサイトすることはできない
優勝決定後は「日本に来て7シーズンで3回もリーグ・チャンピオンになれたんだから、オレはとても楽しかったよ」なんて自身のキャリアの総括をする一方で、予定されていた引退会見をキャンセルして「すべては日本シリーズが終わってから発表したい」と現役続行を匂わせる。当時の「週刊ベースボール」では、9月上旬にクロウと話し合いを持った藤田監督が「こちらから辞めろとは言わない」と明言しており、本人が希望すれば残留の可能性も大いにあった。
しかし、同時期の「週刊ポスト」90年9月21日号掲載のインタビューが物議を醸す。「99.9パーセント、引退するといっておくよ」と宣言してから、「オレとしては日本シリーズでエキサイトすることはできないんだよ。なんだか、セとパが入り乱れて試合する春のオープン戦みたいに思えちゃうし……」とか「日本では“栄光の巨人軍”といっても、オレには分からない。育った環境が違うんだから、ワールドシリーズへの想いと、日本シリーズを一緒にはできないんだ」なんて、すでに気持ちが切れたかのような発言を連発し、実際に巨人は日本シリーズで黄金時代の西武ライオンズにまさかの4連敗で終戦してしまう。