「最初の打ち合わせで担当編集の中村さんに『この連載は、吉玉さんが方向音痴を克服したら終了です』と言われたのが結構なプレッシャーでした。万が一、克服できなかったときは、どうオチを付けたらいいのだろう、と(笑)」
『方向音痴って、なおるんですか?』は読んで字の如く、ライターの吉玉サキさんが、あの手この手で方向音痴の改善を目指した体験ルポだ。
世の中には、方向音痴の人とそうでない人がいる。両者の感覚には大きな溝があり、方向音痴でない人はどうして道に迷うのかと疑問に思うだろう。吉玉さんと方向音痴ではない編集者の間にも、景色の見方に相違があった。
「編集の中村さんは現実に見ている景色の俯瞰図が脳内に別ウィンドウのようにあるそうで、方向に強い人はそんな風に視点を動かせるのか! と、すごく驚きました。一方、私は地図をくるくる回してしまうし、地図上の東西南北はスッと出てくるのに現実世界になった途端にわからなくなってしまう。マップアプリのナビ機能は東西南北で道順を示しますが、前後左右で言ってほしいと常々不満に思っていました」
マップアプリの登場は救世主かと思いきや、意外な落とし穴があった。
「ガラケーからスマホに切り替わって当たり前にマップアプリを使うようになってから、現地集合が増えましたよね。お店のURLが送られてきて『0時にここで集合』と言われるたびに心の中で『ああ、最寄り駅で集合してみんなと一緒に目的地に向かいたい……』と嘆いていました」
方向音痴をなおすべく、吉玉さんは4人の“方向賢者”に話を聞いた。
「最初にお会いしたのは認知科学者の新垣紀子先生で、〈地図と現実の景色を一致させるとき、2つ以上のポイントを照らし合わせる〉など目から鱗のアドバイスの連続でした。夫に話したら『それ、教えられなくても自然にやっていた』とマウントをとられたのですが……。新垣先生に教えていただいた〈迷わないコツ〉を忠実に守りながら街を歩いたら、道に迷うことが減ったうえに、景色の断片同士がつながって現在地が分かるという新たな感覚が私の中に生まれました。
その他にも、空想地図作家の今和泉隆行さん、東京スリバチ学会会長の皆川典久さん、地図研究家の今尾恵介さんに話をうかがいました。新垣先生は研究者ですが、このお三方は地図や地形のマニア。皆川さんは“絶対方向感覚”があって、『北は考えるのではなく、感じるもの』だそうです(笑)。地図や地形に対する愛のエネルギーをたくさん浴びて、その面白さに触れることができました」
座学の次は、実践あるのみ。最終試験では台東区谷中で街ブラに挑戦した。
〈好奇心の赴くままに知らない街を歩けたらどんなにいいか……!〉という当初の目標は達成できたのか?
「結論として、方向音痴は完全に克服できなくとも、努力すれば多少は改善されるものだと実感しました。そういう意味で、方向感覚はファッションセンスみたいなものかもしれません。センスがある人は『自分の直感を信じて好きな服を着ればいい』と言いますよね。でも、センスがない人がその教えに従ったらちぐはぐな服装になってしまいます。ファッション雑誌を読んで勉強したほうが手っ取り早くおしゃれになれるように、基礎学習によって方向感覚を磨くことができる。本書の執筆を通して、当たり前だけど大切な気付きを得られました」
よしだまさき/北海道札幌市生まれ。ライター、エッセイスト。北アルプスにある山小屋で10年間働いた後、2018年からウェブメディアを中心に文筆活動を開始。著書に『山小屋ガールの癒されない日々』(平凡社)がある。