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――飯島さんの四段昇段は2000年4月、20歳の時です。

飯島 当時の三段リーグは最終日の時点で、僕が12勝4敗でトップ。11勝5敗が佐々木さん(慎七段)と渡辺さん。10勝組にも可能性はありましたけど、ほぼこの3名に絞られていましたね。

――その最終日の1局目が飯島―渡辺戦で、結果的には勝者の四段昇段が決まる大一番になりました。

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飯島 1週間ほど前から「頑張ってくれよ」とあちこちから声をかけられたのを覚えています。その勝負で、居飛車党の渡辺さんが向かい飛車をやってきたのに意表をつかれました。終盤もそこそこの将棋だったと思いますけど、慌てふためいて負けましたね。

 

――その時の心境は。

飯島 負けた時のことを考えておらず、「あ、終わったな」と昼食も取らずに茫然としていました。状況をまったく把握せず最終局に臨みました。

――実は競争相手の佐々木さんも1局目に敗れていて、飯島さんは最終戦を勝てばプロ入りが決まるという状況でした。

飯島 そうだったんですよね。最終局は城間春樹さん(のちにアマ名人)との一戦で、終局後に感想戦をいつもより長くやっていたら「知らないの?」と城間さんに声をかけられました。ほぼ同時に幹事の豊川さん(孝弘七段)から「はやく来て」と。それからのことで覚えているのは、渡辺さんと握手したことくらいですね。「この人倒すために戦ったのに、なんで手を握ってるんだろう」という感じでした。

――それからについては。

飯島 三段リーグを抜けたら疲れますね。僕は経験したことがないのでわかりませんが、受験戦争を経て大学に合格した方が感じるのがそういうものなのかなと思います。渡辺さんだって抜けてから1、2年は虚脱状態で、将棋に対する熱が冷めていますよ。1年目は僕のほうが数字はよかったんだから(笑)。

若手棋士と盤を挟むようになって勝率が上がった

――若手時代を振り返ってみると……。

飯島 全盛期の羽生世代にたたかれまくった時代ですね。羽生世代は特別で、すごく先を進んでいるから対抗できませんでした。ようやく対抗すべき方法論がわかってきたら、こっちも年を取ってきたので、もっと下から強いのが出てきました。

――とは言っても前年度の飯島さんは勝率もよく、また非公式のものとはいえレーティングも上がっています。上がり方では藤井二冠に匹敵しています。

6月15日のC級1組順位戦、対真田圭一八段戦より ©相崎修司

飯島 今の僕は木村先生と深浦先生、あと佐々木さんと主にVSをやっているので、そのおかげでしょう。あとは10年以上前から若手に教わっているのも大きいです。以前に米長先生が「若手に教わって名人を取った」とおっしゃっていたことを覚えていたので、参考にしました。

――若手棋士の名前を教えていただけますか。

飯島 八代君(弥七段)と近藤君(誠也七段)です。あとはちょっと前に梶浦君(宏孝七段)も来ていました。始めた当時は自分のほうが強かったけど、今は……(苦笑)。若手棋士と盤を挟むことで最新情報を教えてもらえるのは大きいですよ。その結果として、41歳でベスト4までいけたんですから。