梅雨から夏の終わり頃にかけて、毎年のように繰り返される豪雨災害。2015年には鬼怒川が決壊した東日本豪雨、2018年には200人以上が犠牲となった西日本豪雨が発生した。昨年の熊本豪雨も記憶に新しい。
今月初旬には、梅雨前線に伴う大雨により、静岡県を中心に大きな被害が出た。熱海市で発生した土石流の衝撃的な映像は、土砂災害の恐ろしさをまざまざと見せつけた。
このように被害が多発している状況では、過去の豪雨災害の記憶が徐々に薄れていってしまうことも、ある意味では仕方ないことなのかもしれない。だが、改めて過去の記憶と向き合うことで、今を生きる私たちが得られるものがきっとあるはずだ。
11年前、岐阜県美濃地方を豪雨が襲った
2010年7月15日、岐阜県美濃地方を豪雨が襲った。その日、私が暮らしている岐阜市でも夕方から雨脚が強まり、これはひどい夕立だなと思っていた。しかし、夜になっても雨は弱まることなく、降り続いた。その影響で、市内各地で道路が冠水したものの、幸いにも大きな被害は発生しなかった。
一方その頃、30キロほど東に離れた東濃地方は、とんでもない事態に陥っていた。可児市を流れる可児川が氾濫、八百津町では崩れた土砂が家屋を直撃するなど、複数の死傷者が発生していたのだ。
午後8時前、名鉄可児川駅の近くは帰宅時間帯と重なり、送迎の車で賑わっていた。そんな時、大雨によって駅近くのアンダーパスが冠水し、多数の車が立ち往生を余儀なくされてしまった。そこへ、可児川から溢れた濁流が、一気に押し寄せたのだ。迷う間もなく、次々と人も車も流されていった。
「娘をよろしくお願いします!」
必死に電柱に掴まるなどして難を逃れた人も多かったが、3名の方が流されてしまった。そのうちのひとり細田由里さんは、娘を駅まで迎えに行き、家に帰る途中だった。アンダーパスで立ち往生しているところへ、濁流が押し寄せた。
娘は何とか車から脱出し、近くのフェンスにしがみついた。だが、車から出られなかった由里さんは、娘の隣で同じようにフェンスに掴まっていた男性に「娘をよろしくお願いします!」と大声で叫び、車ごと濁流に飲まれてしまった。