文春オンライン

「娘をよろしくお願いします!」と叫び、妻は濁流に飲み込まれた…“11年前の豪雨災害”が奪った日常

2021/07/17

genre : ニュース, 社会

note

30キロ離れた木曽川でバンパーが見つかった

 “可児川豪雨災害行方不明者の手がかりを探す会”の参加を呼びかけているのは、可児市議の山根一男さんだ。災害翌月の2010年8月、何か家族の支援ができないかと有志で集まったのがきっかけだった。

 同月末、消防や警察による捜索活動が打ち切りになると、自分たちだけでも探し続けようということで、9月初旬から河川に出て活動をはじめた。当初は100人ほどの人が集まり、毎週のように河川周辺の捜索活動を行っていたが、参加者は次第に少なくなり、現在は月に1回、数人程度で活動している。

2017年、「可児川豪雨災害行方不明者の手がかりを探す会」でお会いした細田昭彦さん(左)と山根一男さん(右) ©鹿取茂雄

 時間が経てば経つほど、手がかりを見つけることは難しくなる。大雨が降る毎に土砂が堆積し、川の地形が変わるため、大量の土砂をスコップで掘り下げて、手がかりを探すしかない。気が遠くなるような作業だが、そうした作業を続けている間にも、また新たな土砂は堆積してゆく。

ADVERTISEMENT

 また、災害地点から2キロほど下流で可児川は木曽川へと合流している。由里さんの車は、アンダーパスから近い可児川で発見されたが、バンパーは現場から30キロも離れた岐阜県笠松町の木曽川で発見された。木曽川の下流域まで含めるとなると、捜索範囲は70キロに及ぶ。

「少しでもいいから、骨壺に入れてやりたい」

 この日は数時間ほど活動を行ったが、結局、何の手がかりも得られなかった。この会自体も、2010年秋に由里さんのパスケースを見つけて以来、新たな手がかりは見つけられていない。しかし、それでも捜索活動を続けているのには、理由がある。

 災害から2年が過ぎた2012年8月、行方不明のまま由里さんの葬儀が執り行われた。しかし、骨壺には、今もお骨が入っていない。昭彦さんは「少しでもいいから、骨壺に入れてやりたい。いつか向こうに行ったら、どこにおったの?と聞きたい」と話す。

2017年の捜索活動の様子。気の遠くなるような作業を積み重ねていく ©上月佑人
捜索を続ける間にも、新たな土砂は堆積していく ©上月佑人

 また、今も冷たい川の底にいるのかと思うと、早くそこから出してあげたいと願うのは、人間の自然な心情だろう。これまで、多くの人が捜索に携わってきた。消防の方が活動に参加したり、ダイバーに依頼して水中を探したこともあった。

 呼びかけ人の山根さんは言う。「可能性が低いことは分かっている。でも、ゼロじゃない。我々が諦めた時、可能性はゼロになる。体が動く限り、細田さんの意思に沿って活動を続けていきたい」