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「娘をよろしくお願いします!」と叫び、妻は濁流に飲み込まれた…“11年前の豪雨災害”が奪った日常

2021/07/17

genre : ニュース, 社会

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 梅雨から夏の終わり頃にかけて、毎年のように繰り返される豪雨災害。2015年には鬼怒川が決壊した東日本豪雨、2018年には200人以上が犠牲となった西日本豪雨が発生した。昨年の熊本豪雨も記憶に新しい。

 今月初旬には、梅雨前線に伴う大雨により、静岡県を中心に大きな被害が出た。熱海市で発生した土石流の衝撃的な映像は、土砂災害の恐ろしさをまざまざと見せつけた。

 このように被害が多発している状況では、過去の豪雨災害の記憶が徐々に薄れていってしまうことも、ある意味では仕方ないことなのかもしれない。だが、改めて過去の記憶と向き合うことで、今を生きる私たちが得られるものがきっとあるはずだ。

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豪雨に襲われた翌日、増水し濁流となっていた可児川(2010年7月16日撮影) ©時事通信社

11年前、岐阜県美濃地方を豪雨が襲った

 2010年7月15日、岐阜県美濃地方を豪雨が襲った。その日、私が暮らしている岐阜市でも夕方から雨脚が強まり、これはひどい夕立だなと思っていた。しかし、夜になっても雨は弱まることなく、降り続いた。その影響で、市内各地で道路が冠水したものの、幸いにも大きな被害は発生しなかった。

 一方その頃、30キロほど東に離れた東濃地方は、とんでもない事態に陥っていた。可児市を流れる可児川が氾濫、八百津町では崩れた土砂が家屋を直撃するなど、複数の死傷者が発生していたのだ。

 午後8時前、名鉄可児川駅の近くは帰宅時間帯と重なり、送迎の車で賑わっていた。そんな時、大雨によって駅近くのアンダーパスが冠水し、多数の車が立ち往生を余儀なくされてしまった。そこへ、可児川から溢れた濁流が、一気に押し寄せたのだ。迷う間もなく、次々と人も車も流されていった。

可児川駅近くのアンダーパス。豪雨当日は、橋の左上にある青い線の高さまで冠水していた(2021年6月撮影) ©鹿取茂雄
©鹿取茂雄

「娘をよろしくお願いします!」

 必死に電柱に掴まるなどして難を逃れた人も多かったが、3名の方が流されてしまった。そのうちのひとり細田由里さんは、娘を駅まで迎えに行き、家に帰る途中だった。アンダーパスで立ち往生しているところへ、濁流が押し寄せた。

 娘は何とか車から脱出し、近くのフェンスにしがみついた。だが、車から出られなかった由里さんは、娘の隣で同じようにフェンスに掴まっていた男性に「娘をよろしくお願いします!」と大声で叫び、車ごと濁流に飲まれてしまった。