藍鼠(あいねず)、瓶覗(かめのぞき)、鉄御納戸(てつおなんど)、白練(しろねり)、錆浅黄(さびあさぎ)、猩猩緋(しょうじょうひ)、黄丹色(おうにいろ)、梅幸茶(ばいこうちや)、虫青(むしあお)――本書に登場する〈色の名前〉の、ごく一部である。
読む手を止めてどんな色なのか調べたい、現物を見たいという思いと、早く先が読みたいというジレンマに何度も引き裂かれた。
舞台は江戸、主人公は貧乏長屋に暮らすお彩(あや)だ。彼女の父は腕のいい摺師だったが、火事で視力と仕事場を失った。父の弟子でお彩の許婚だった男も彼女のもとを去り、お彩は20歳を過ぎて独り身、父の面倒を見ながら暮らしている。
そんなお彩には、天性の鋭い色彩感覚があった。ひょんなことからお彩のその才能を知った謎の京男・右近は、色に関する頼み事を次々と彼女に持ち込むようになる。高貴なところへ献上する上生菓子の色味、商家の娘が見合いに着ていく着物や花魁(おいらん)の打掛の色、などなど……。
という、つまりは江戸のカラーコーディネイターの物語である。もちろん当時にそんな名前の職業はないが、和菓子作りも着物の見立ても浮世絵の摺りも、色と無縁ではいられない。むしろ素材や原料、造形が今より限られていた時代だからこそ、色の選定・配色がデザインの核になる。そこに物語を見出したことに、まず感心した。
だが決して、この色が似合いますねというだけの話ではない。色にはそれぞれ意味や由来があるということ。好む色で人となりがわかるということ。色があるだけで生活がぐっと鮮やかになるということ。人と色とのかかわりがつぶさに描かれるのだ。
はっとさせられる場面があった。見合いに臨む娘のために呉服商が用意したのは、春らしい明るい色の反物。だがお彩は、明るい色は娘の磁器のようなきれいな肌をくすませてしまう、娘に似合うのは桜鼠(さくらねずみ)だと見抜く、というくだりだ。
本人を見ず、若い娘ならこうだという思い込み。同様の例は他にもある。花魁の打掛なら金糸銀糸が当たり前だとか、その品が好きかどうかより世間の評判で選ぶとか。お彩にも、盲目の父は自分がいなければ何もできないという思い込みがある。現代でも目にする偏見や先入観ばかりだ。それらが〈色〉を通してひとつずつ覆されていく。実に爽快ではないか。
その〈色〉と物語の絡ませ方も見事だ。見合いを嫌がる娘にお彩が授けたある作戦。無表情な花魁に笑顔を取り戻させたひらめき。素っ頓狂な色の小袖を注文した武士の事情。どれも上質なミステリのごとき驚きとカタルシスがある。
何より、色がこんなに奥深いとは。色の和名の多彩さには圧倒されたし、藍染は藍白(あいじろ)から濃紺まで22色を出せるという話には、思わず手持ちのデニムを並べて見比べたほどだ。読む前と後でまさに世界の〈色〉が変わる。楽しみなシリーズの開幕である。
さかいきくこ/1977年、和歌山県生まれ。2008年「虫のいどころ」でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。17年『ほかほか蕗ご飯 居酒屋ぜんや』で髙田郁賞、歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞。ほかの著書に『雨の日は、一回休み』など。
おおやひろこ/1964年生まれ。書評家・文芸評論家。著書に『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』など。