※本記事では『君の膵臓をたべたい』アニメ映画・実写映画について、物語の重要なシーンに触れています。ご注意ください。
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映像作品も「読む」ことで、その味わいはぐっと深くなる。
小説『君の膵臓をたべたい』は2017年に実写映画(月川翔監督)、2018年にアニメ映画(牛嶋新一郎監監督)化されている。過去にも一つの原作から実写映画とアニメ映画がそれぞれ制作されたケースはある。しかしそれはそれぞれに大胆な脚色が施されていたり、制作時期が離れていたりしていて、本作のような一種の“競作”状態とは異なっていた。本作のように基本的に原作準拠で、かつ前後して実写映画とアニメ映画が公開された例は(ないわけではないが)非常に珍しいのである。だからアニメ映画と実写映画を比較しながら「読む」と、その目指すところの違いが更に際立つのである。
住野よるの『君の膵臓をたべたい』は、もともとは小説投稿サイト「小説家になろう」に発表された作品だ。これが2015年に商業出版され、本屋大賞第2位に選ばれるなど大きな話題を呼んだ。原作小説は「僕」の一人称で進行するところに小説としての仕掛けがある。しかしこれは小説ならではの仕掛けなので、登場人物が基本的に客観的視点で描かれる映像化の場合は、大きな武器にはならない。
主人公の「僕」は高校生。「僕」は病院で偶然「共病文庫」というタイトルの文庫本を拾う。それは「僕」のクラスメイトである山内桜良(やまうち・さくら)の闘病記だった。彼女はそこに、自分が膵臓の病気でもう長くはないということを綴っていた。偶然、桜良の秘密を知ってしまった「僕」は、彼女のさまざまな「死ぬ前にやりたいこと」に付き合わされることになる。そして思わぬ形で2人の別れはやってくる。
実写映画はこの小説を映画化するにあたって、12年後の「僕」が教師となって母校で働いているという設定を加え、「12年後」のパートが原作のエピソードの要所に挿入されるという構成を採用した。「12年後」のエピソードを入れた理由について月川監督は、原作の魅力を濃縮するために「回想形式のほうが高校時代のエピソードを見せやすい」「桜良が死んだ後の時間にもフォーカスすることで、その存在の影響がわかる」という趣旨の発言をしている。
個人的には、2004年の『世界の中心で、愛をさけぶ』が同じ方向性で脚色をしていることが本作に影響を与えたのではないかと考えている。また両作とも、表現上の理由だけでなく、集客力が未知数の若手キャストだけでなく、知名度のある中堅のキャストを組み合わせた映画にしたい、という興行的な判断もあって、「主人公が成長した姿」を必要とした側面もあったのではないかと思う。