こういいながら桜良は、玄関をあがったところにある階段に腰掛ける。一方で「僕」は土間からあがることもない。カメラは俯瞰で2人を捉えており、玄関の上がり框が一種の境界線として2人の間を横切っていることは視覚的に示されている。また桜良はここでも「昇天」のイメージと結びついた階段で、そのステップに腰掛けている。ここでも2人の間に距離があることが強調される。
「あと少しの間でいいから一緒にいてほしい」2人が電柱の「左側」にいる意味
一方アニメ映画は、「僕」と桜良の会話は、ケンカの現場である雨の路上でそのまま行われる。桜良の台詞は、言葉の選び方は原作とも実写映画とも異なるが、自分たちの出会いが選択の結果の必然である、というメッセージは基本的に変わらない。むしろ、このシーンで注目したいポイントは画面構成だ。
カメラは地べたに座り込んだ2人の全身をロングショットでとらえている。画面の中央に電信柱が立っており2人はその電柱で区切られた画面左側の空間に固まって存在している。このレイアウトで2人がギュッと接近した感じが強調されている。少し後のカットでは、路傍の草むらの花の間から2人を狙ったレイアウトもでている。こちらも雑草と花で形作られた一種の狭い空間――映画のフレームの中に用意されたもうひとつのフレームと言ってもいい――の中に2人を捉えていて、こちらでも2人の接近が強調される。
このような映像言語を裏付けるように、アニメ映画はこのシーンのラストを「今君がいることが本当にうれしい。あと少しの間でいいから一緒にいてほしい」という桜良の台詞で締めくくる。
「死を前提にした距離」と「同じ時間を過ごすこと」…テーマで変わったクライマックス
「死」を前提とした「距離」に注目する実写映画と、「それぞれの課題を抱えて同じ時間を過ごす2人」を強調するアニメ映画。この主題の違いは、当然ながらそのまま映画のクライマックスの作り方に反映されることになる。
実写映画は、置いていかれてしまった「僕」が12年ごしに桜良に追いつくという形で「距離」の物語を締めくくる。
アニメ映画は、原作のクライマックスだった桜良の遺書のシーンを、作中に小道具として登場する『星の王子さま』をベースにしたイメージ映像で描いた。それは、つまり星の王子さまで王子様が「僕」(『星の王子さま』の語り手も「僕」なのである)と過ごした時間が、2人が過ごした時間と重ね合わされているということでもある。
同じ原作、同じエピソードを使っていても、ほんのちょっとの台詞の扱いや、演出の見せ方で、これほどまでに「違う映画」になるのである。この「違い」に気づくということが映像作品を読むことの楽しみなのである。