「桜良の物語」と重なっていく「僕の物語」
一方アニメ映画はこのエピソードを、夕方の海辺を舞台に描いた。スイーツビュッフェの後、海に足を延ばした2人は、「君は本当に死ぬの?」から始まる会話を重ねる。ただし、こちらの会話のラストは桜良の「本ばっかり読んでないで、君はもっと人と接しなさい!」という台詞で締めくくられる。
ここでこの映画は、自分の死と向かい合う桜良の物語というだけでなく、他人と関わることをしない「僕」がコミュニケーションという課題に向かい合う物語が示される。2人はこうしてそれぞれの「課題」を抱えて、同じ時間を過ごし始めるのである。
「僕」が他人といかに関わるかは、原作の主題に関わる重要な要素で、アニメ映画はそこにストレートに足を踏み入れた。実写映画は「2人の距離」の物語であることを前面にたてることで、むしろラブストーリー性が濃くなっている。
実写映画の「天国で会おうよ」もアニメ映画の「もっと人と接しなさい」もどちらもスイーツビュッフェでの会話に登場する。だが、そのどちらかを選んだことによって、同じ「僕」とだけ秘密を共有する理由を語るシーンであっても、映画の中で描かれる主題そのものが大きく変わってくるのだ。
「わたしたちは自分の意志で出会ったんだよ」
この本質的な違いは、ミッドポイントのエピソードでも明快なコントラストを描いている。
ミッドポイントの位置で描かれるのは、「僕」の桜良の家への訪問。そこでもドラマ上重要な出来事が起こるのだが、ここで注目したいのはその後。帰宅しようとする「僕」と桜良の元彼氏である委員長が、桜良の家の前で鉢合わせするシーンだ。
桜良にふられたばかりの委員長はいらだちの余り「僕」を殴り、僕は雨の中に倒れ込む。その様子に気がついた桜良は委員長に対して怒りを見せる。実写映画は原作小説と同様の展開で、桜良は雨でずぶ濡れになった「僕」を玄関に招き入れ、タオルを持ってくる。
「僕」は、偶然合った自分ではなく「もっと誰か本気で君のことを思ってくれる人といたほうがいい」と吐き出すように改めて言う。
だが、桜良はそれを否定する。「偶然じゃない。流されてもいない。わたしたちはみんな選んでここにきたの。(略)君がしてきた選択と私がしてきた選択がわたしたちをあわせたの。わたしたちは自分の意志で出会ったんだよ」