最前列ではなく、後ろの列の目立たぬところで、人や組織を支える人々がいる。そうした“後列のひと”の声を頼りに取材を重ねてきたのが、ノンフィクション作家の清武英利氏だ。昭和から今に続く、人間とその家族を描いた『後列のひと 無名人の戦後史』(文藝春秋)より、「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる糸川英夫氏の姿を紹介する。(全3回の3回目。前編中編を読む)

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「飛行機は僕の子供だよ。子供に人殺しさせたい親がどこにいるんだ」

 ただ、苦しかったときも多かったのである。時々、

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「神様、許してくれ。僕にはいまだに殺したい奴がいる」

 と唸って、怨念や嫉妬の研究にのめりこんだことも打ち明けた。そして陸軍の戦闘機「隼」の設計をしていたことを話しながら、ぽろぽろ泣いたりもした。

「僕は飛んでいった飛行機は全機、無事に帰ってきてもらいたいって、ずっと願っていたよ。でも自分の飛行機は特攻に使われたり、人殺しさせたと言って非難されたりした。鉄板(防弾板)一枚を隼の座席の背中に入れたら助かったパイロットもいっぱいいたはずだよ。でも『1グラムも重くするな』と言われて、それはできなかったんだ。飛行機は僕の子供だよ。子供に人殺しさせたい親がどこにいるんだ」

糸川英夫さん ©文藝春秋

 だが、その翌日にはけろりとして「人間は逆境のときだけ成長するんだ」と話し、過去を振り向くことがなかった。糸川は東京と大阪、名古屋で例会を開いており、赤塚は東海地区の秘書兼雑用役を買って出た。

 ところが、君子然としたその糸川がアンさんにはちょっとしたことで怒られるのだ。彼はなかなかモテる老人で、女性音楽家や美人政治家の訪問を受けることもあった。たちまち、アンさんにこっぴどく𠮟られる。やきもちが丸見えで、そんなときに情人の姿に立ち戻った。

 糸川はクラシックが好きで、62歳でバレエを習い始め、バイオリンのコンサートも開いている。だが、彼女は歌謡曲や演歌が好きだ。クラシックは長くて眠くなるから嫌だと言う。糸川の講演会に誘われると、「なんで行かなきゃいけないの」と口をとがらせた。

「だったらさ、言っていることを一つぐらい家でやってみろっていうのよ。できもしないことばっかり偉そうに言うからさ」

 糸川は、そうね、そうだね、と頷いている。彼女はそこを突き、糸川に邪険にされる周囲の人々をかばったり、包み込んでやったりした。 取り巻きの経営者の中には、「博士ともあろう人が、あんな下品な女に」と離れていく人もいた。だが、糸川は気にしなかった。