最前列ではなく、後ろの列の目立たぬところで、人や組織を支える人々がいる。そうした“後列のひと”の声を頼りに取材を重ねてきたのが、ノンフィクション作家の清武英利氏だ。昭和から今に続く、人間とその家族を描いた『後列のひと 無名人の戦後史』(文藝春秋)より、「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる糸川英夫氏の姿を紹介する。(全3回の2回目。前編後編を読む)

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「隙間に座りなさい。あ、そこをちょっと詰めてよ」

 その時代を赤塚は鮮明に覚えていた。20代最後の夏だった。

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 赤塚はその日、東京・世田谷の環七どんよりとした空は少しずつ闇を増して、その住宅兼美容室の看板を包み込もうとしていた。黒塗りの社用車がぽつんと1台駐車している。

 仲間の1人はここへ一度来たことがあって、その男の背に隠れるようにドアを押した。

 車座になっていた十数人が一斉に振り返り、その目が新参者を下から射た。社長風の背広の男、白シャツのおやじ、学生、割烹着の主婦、米屋の前掛けを巻いた女将……。まとまりのない人間たちが、美容室の待合席を片付けたタイルの床に、シーツのようなものや座布団を敷いて座り込んでいる。

「まあ、どうぞ」と化粧の濃い、チリチリパーマの女性が赤塚らに笑いかけた。それがアンさんで、着物をゆったりと仕立て直したワンピースを着ていた。

「隙間に座りなさい。あ、そこをちょっと詰めてよ」

 変なおばちゃんやなあ、と思ったその女性に急かされ、人の輪が少し広がった。その中心に作務衣を着た白髪の男が泰然と納まっていた。それが77歳の糸川だった。低くひしゃげた鼻に、角ばった頑丈そうな顎、広い額を持つ小さな老人が、「日本のロケット開発の父」と呼ばれていたことを、赤塚は知っていた。空の天才だった。

糸川英夫さん ©文藝春秋

 糸川が執筆した『逆転の発想』シリーズが10年ほど前に100万部を超えるベストセラーになっていたことも、赤塚は覚えていた。だが、糸川がペタンと座った美容室の隅が、天才博士のいまの居場所のようだった。

 訪れたきっかけは、知人から声をかけられたことだ。

「糸川先生の勉強会に行くけど、君も来ないか。先生のお宅だよ」

 その知人は和太鼓を叩いて生計を立てているミュージシャンで、糸川から贔屓にされているという。

――そんなところに何があるというのか。相手にもされないだろうな。

 そう思いつつも、噂に聞く博士の姿を見てみたいという気持ちが赤塚にはあった。何かしら摑むもの、すがりつく人を、彼は求めていた。それで津市から特急と新幹線と電車を乗り継ぎ、渋谷からタクシーを飛ばして、ここに降り立っている。