あの人に弟子入りをしよう
それから、朝ご飯をいただいて送り出され、名古屋へ戻る新幹線の中で、彼は思った。
――あの人に弟子入りをしよう。
それは糸川にすがってみようということだったが、冷静に考えてみると、あの2人というべきだったかもしれない。その奇妙な私塾に毎月通い、段々と冷たくなる美容室の床に座った。糸川の私塾のテーマは、「モーゼに学ぶリーダーの引き際」だったり、「ノアの子孫アブラハムの従い方」だったりした。アブラハムは「私の示す地へ向かえ」という神の言葉に従って苦難の旅を続けた、イスラエルの民の祖である。
大先生はいつも淡々と静かに話した。
赤塚は新幹線で行ったり、津から自分の車を運転して行き、宴会後に車で帰ったりした。大先生は大勢で騒ぐのを好んでいなかったが、アンさんは人が多い方が嬉しいらしく、集まった塾生を容易に帰さなかった。勉強会が終わると、女主人の独壇場で、手作りの酒の肴をつつく宴会に化けた。彼女はウイスキーと賑やかな場が大好きなのである。
「みんな違ってそれでいいのだ」
一休みして明け方に帰り着き、朝靄のなかに降り立つと、冴え冴えと白い朝を信じることができた。奪われていた生気を少しずつ取り戻しているのがわかった。
糸川の異能に触れたのである。博士は人と同じということは最大の侮辱だと考える人間で、
「それぞれが役割を持ってこの世にやって来たのだから、みんな違ってそれでいいのだ。神が与えた宝物はお金ではなく、人に役立つ独創力なんだよ」と諭した。
確かに、独創力の塊のような先生ではあった。英字紙2紙を含め、7紙ほど新聞を取って瞬く間に読み飛ばし、スクラップを指示した。本も次々とページを繰って書き込みをした。それが執筆や講演の糧となっている。
ハードカバーの本を買うと、しばしば表紙をバリバリと破き、出張で3時間の移動をするときには、3時間で読める分だけをちぎって持って行った。好みの本はあとでまたくっつけたりするのだが、「3時間しか読めないのに、5時間分の本を持っていっても無駄でしょ。切れ端の時間を大事にしなさい」と言った。
同じ仕事を一生続けるのも大事だが、次のように「自分は10年に1度、仕事を変えてきた」というのも糸川の自慢である。
22歳で中島飛行機の航空機を設計し、
29歳で東京帝国大学第2工学部の助教授に就き、
36歳で音響工学を研究し、
41歳でロケット開発を始め、
54歳で組織工学研究所を設立し、
62歳でベストセラー『逆転の発想』を書き、
79歳でバイオリンを製作している。
そう言うのだ。
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