最前列ではなく、後ろの列の目立たぬところで、人や組織を支える人々がいる。そうした“後列のひと”の声を頼りに取材を重ねてきたのが、ノンフィクション作家の清武英利氏だ。昭和から今に続く、人間とその家族を描いた『後列のひと 無名人の戦後史』(文藝春秋)より、「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる糸川英夫氏の姿を紹介する。(全3回の1回目。中編、後編を読む)
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「昨日の『ちびまる子ちゃん』見た?」
明け方の、まだ目がとろとろとしているときに、電話がかかってきた。
――あっ、大(おお)先生からや。
リン、と鳴った瞬間から予感があった。月曜日の朝っぱらから電話をかけてくるのは糸川英夫しかいない。元東京大学教授で工学博士である。喜寿を超えているせいか、朝が早いのだ。
大先生は「日本のロケット開発の父」と呼ばれていたが、それは30年も前のことで、世間では、たけしの「平成教育委員会」に出演している、変な学者ぐらいにしか思われていない。戦前は戦闘機を次々と設計し、戦後はペンシル型ロケットから始め、昭和30年から40年代初めには全長120センチの観測用のベビーロケットやカッパ型ロケットを次々に打ち上げていたが、今では自作のバイオリンを演奏会で弾いて見せたり、白タイツを穿いて大舞台で白鳥の湖を踊ったりしている。紙一重の人生を、大先生は送っているのだ。
受話器を上げた赤塚高仁(こうじ)の耳を興奮した声が刺した。
「赤塚さん、昨日の『ちびまる子ちゃん』見た?」
「何ですか?」
どうやら日曜の夕方に放送されたテレビアニメのことらしい。大先生はまくしたてる。
「ちびまる子ちゃん、昨日ね、年賀状書いていたでしょ」
「そうなんですか」
「ちびまる子ちゃんがあぶり出しやったよね。あぶり出しだよ。みかんの汁を絞って年賀状でね。あれがイノベーションなのよ。あれがファクシミリの原理なのさ。字を出すというのは何かこすりつけたり、刻んだり、あとは何か色をつけたりする、それが文字を書くっていうことなんだけど、あれに熱を加えたら字が出るっていうのはね、すごい発明なのよ。ちびまる子ちゃんね、あれ、すごかったね」
ずっとしゃべっている。80歳近い老人が『ちびまる子ちゃん』を見てイノベーションを説いている。何か凄いな、と思っていると、散々しゃべったあげく、
「じゃ切るわ」
興奮を誰かに伝えたいのか。赤塚はほっとした。
朝から激しく𠮟られるときもあるのだ。政府の失政や日本経済の挫折は、三重県津市の小さな工務店主である赤塚には関係がない。だが落ち度もないのに怒られる。反論もできないので、サンドバッグ状態である。そして1時間ほどして、
「あなたにこんなこと話してもしょうがないけどね」
と電話を切ってしまう。
朝から落ち込ませることはないじゃないか。なぜ俺なんだ、と時々思うのだが、大先生の講演は1時間で最低50万円もするから、50万円をもらった、とあきらめるしかない。