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家を捨て、アンさんの美容室兼自宅に転がり込む

 そして、東大を追われた後の人生を次のように記した。

〈東京大学、という大きくて強力なエスタブリッシュメントを出て、55才という年で、一人で社会に生きて行く、という困難さは、覚悟の上でしたが、決して生易しいものではありません。

 組織工学研究所も創立13年をこえましたが、政府補助も一切うけず、大会社にも属さず、まさに、孤立無援の状態がいまだにつづいているために、「ロケット退職」後に、夜に行われた「ロケット同窓会」に出席するどころではなかった日々でした。

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 しかし、大きな会社や、官庁や、大学につとめている人にとっては、こういうリスクの大きい生活は理解が困難らしく、「ロケットグループ」を冷くつきはなして、寄りつきもしない、という風にうけとられている向きもあるようです。

 しかし、そのことを恨んでもいないし、弁解をする気もありません〉

「ロケット同窓会」などに出て、後ろを振り返る余裕など、糸川にはなかったのである。組織工学研究所は看板こそ立派だが、要はコンサルタント業である。かつての仲間がブレーンだった。

 初めは仕事がなく、退職金と貯金を取り崩していた。だが、官民のプロジェクトに提言をしたり、電気製品のアイデアを出したり、全国各地で講演会を開いたりしているうちに、多彩な才能が一気に開花した。バイオリンやチェロを作り、ベストセラーを次々に書き、在野の天才科学者としてテレビや新聞、雑誌に毎日のように登場するようになっていく。

 実はそのとき、糸川は家を捨て、アンさんの美容室兼自宅に転がり込んでいた。一方のアンさんは夫と不仲で、かなり前から別居していたようだ。彼女の話によると、糸川は初めのうちこそ自宅とアンさんのところを行ったり来たりしていたが、やがてすべてを家族に渡して、身一つで居ついてしまった。

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後列のひと 無名人の戦後史

清武 英利

文藝春秋

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