マネキンでも、日本的美人でもなかった
90年代にモデルとして登場した市川実和子は、またたく間に多くのファッション誌、カルチャー誌の表紙を埋め尽くした。彼女の顔は誰にも似ていない、文字通りのニューフェイスだった。白人を理想としたブティックのマネキンの顔立ちとも違ったし、かといって過去の日本的美人の類型でもなかった。市川実和子の顔はまるで、未来の日本からやってきた進化した女の子のように見えた。
2020年代のネットでは「顔面偏差値」という息苦しい言葉がすっかり定着してしまったが、市川実和子の顔は、教科書に合わせて優等生が書き上げた100点満点の答案用紙というよりも、転校生がサラサラと黒板に書いた読めない外国語のように新鮮だった。そしてその異国の文字のように見慣れない顔は、やはり美しかったのだ。
表紙は雑誌の顔であり、メッセージだ。カバーに彼女の顔を載せたファッション雑誌は、私たちは今までとはちがう自由な場所、新しい美しさを目指すのだ、と読者に宣言するように見えた。たちまち人気モデルの1人に上り詰めた彼女は、21世紀に入ると『リリイ・シュシュのすべて』『Mother』『八日目の蝉』などの優れた作品で俳優としても活動しはじめる。だが2016年、『溺れるナイフ』への出演を最後に、映画やドラマの出演が突然停止する。
映像作品を「ちょっと休憩したい」
「この作品が映像(作品)5年ぶりくらいだと思うんですけど、正直ちょっと休憩したいなと思って映像の方を休憩してモデルに専念していた」と、『北欧、暮らしの道具店』の公式YouTubeでインタビューに答える市川実和子を見て、やはり意図して映像作品から離れていたのか、と腑に落ちる思いだった。
休養前の作品『溺れるナイフ』で演じたのは小松菜奈が演じる望月夏芽の母親役だったのだが、「オーラがある、さすが夏芽の母親という感じがする」と映画ファンからは好評で、それまで同様、多くの出演オファーが来ていたはずだったからだ。
「ちょっと休養したい」という市川実和子の言葉に、どんな思いがあったかはわからない。多くのファンを持つ彼女は、俳優として活動するのに何も問題はなかっただろう。だが観客として見て、時に彼女の「オーラ」は、ある意味では俳優としての市川実和子にとって諸刃の剣にもなっていたと思う。
モデルはオーラを発し、圧倒的に特別な存在であることが許される仕事だが、俳優はある意味では、時に日常の中に溶け込み、平凡な人間を演じなくてはならないからだ。
『八日目の蝉』や『Mother』と言った質の高い名作にキャスティングされることは、俳優としての高い資質がなくてはできないことだ。それらの作品で医師や、子を奪われた母を演じる市川実和子は、画面に登場した瞬間にミステリアスで強烈に観客を惹きつける。だがそれは、観客が感情移入する主人公の対岸に対置される存在で、市川実和子が観客の視点を背負って自分の物語を演じる作品はこれまで多くなかった。