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『シン・ゴジラ』で妹の市川実日子が呼んだ「共感」

 市川実和子の妹、市川実日子は2016年以降、『シン・ゴジラ』や『アンナチュラル』といった人気作品への出演で新しいファンを獲得するのだが、市川姉妹としてモデル界を席巻してきた2人の持つ空気は微妙に違う。市川実和子が『憧れ』だとしたら、市川実日子は『共感』の感情を抱きやすいモデルだったと思う。

 妹の市川実日子の顔はよく、「アーティストの奈良美智が描く幼女に似ている」と言われた。不満を込めて大人たちを上目使いでにらみつける奈良アートの中の少女のように、市川実日子の目には社会の中でもがく現代女性が抱く怒りと不満の光がある。市川実和子の顔が美しい未来からやってきた希望の顔だとしたら、市川実日子の顔は混沌とした社会を生きる現代女性の顔だった。

市川実日子 ©️AFLO

 2人の姉妹はまるで、日本の女の子にとっての未来と現在、憧れと共感という2つの感情を分担するように見えた。『シン・ゴジラ』や『アンナチュラル』でキャリア官僚や臨床検査技師という組織の中で苦闘するキャリア女性を演じる市川実日子の顔には、日本の現実の中でもがく女性の苦しみや怒りが浮かび上がっていた。

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 だが、まるで未来の日本から来たような市川実和子は、特別な存在であるがゆえに、観客の視点、共感を背負いにくいようなところがあった。未来からやってきたようなオーラがあるゆえに、貧しく野蛮に逆行したような現在の物語が時にそぐわないのだ。が、2021年の映画『青葉家のテーブル』は、そうした「共感と憧れ」の分断に橋をかけるような映画になっていた。 

市川実和子が、「憧れ」の存在から降りる物語

「今回、久しぶりに(『青葉家のテーブル』の)台本をいただいて、(この作品を)やってみたいと思ったんですよね」と答える市川実和子を再び映画の世界に引き戻したのは、松本壮史監督の脚本、物語だったのだろう。

 それが市川実和子を想定した「当て書き」だったのか、あるいは偶然だったのかはわからないが、『青葉家のテーブル』は、2人の女性が過去に分裂した「共感と憧れ」を交換し合い、インフルエンサーとフォロワーという固定された構造から抜け出す物語になっている。インフルエンサーの知世の娘とフォロワーの春子の息子、2人の青春と、決裂の心の傷、90年代と2021年を繋ぐ物語を、モデルとしても同時代を生きてきた市川実和子と西田尚美の2人はみごとな演技で紡いでいく。

 それはまるで、現在の混沌を生きる西田尚美が、失われた未来に取り残された市川実和子を迎えに行くような物語に見えた。『青葉家のテーブル』は守れなかった約束と、裏切ってしまった未来にもう一度会いに行く女性たちの物語なのだ。