発する者の「意図」を汲めるのかが重要
「実用文」が読めることはもちろん重要だ。しかし、「実用文」の正確な情報処理を行うだけなら、それこそ人間はAIにいずれ負けるしかない。大量の文書資料から必要な情報を集めて即座に処理するという点では、もはやどれほど博覧強記の人間でもグーグルに及ぶべくもない。そして、そういう「実用文」の処理はむしろAIに任せればよい。
先述の報告をした数学者は、今後もAIが人間に決して勝てない分野こそ「読解力」だと言っている。これは「情報処理」ではなく、自然言語、文学や評論などの文章の読解を意味している。そして、読解力をつける鍵は、多読より精読にあるのではないか、とも述べている。
社会が人間同士の交わりである以上、そこでの言語はニュアンスや膨らみをもったものでありつづけるはずだが、AIにはそれがわからない。情報としての「意味」はわかっても、それを発する者の「意図」は汲めないのだ。これでは現実の生活の中でまったく「実用的」ではない。そして、後者の「読解力」の低下こそ、現在若者たちの間で起きていることだ。大学では、話のニュアンスを汲み取れない学生にどう対処するかの研修会が教員向けに開かれている。
今春実施された「第1回大学入学共通テスト」
意図やニュアンスの読解には多読より精読が必要であり、それは言うまでもなく「論理的」な作業である。それを担うのが「国語」という教科であり、その中心に文学教材があったはずだ。情報処理や簡単な通訳はAIに任せられる時代だからこそ、真の「読解力」が求められるようになる。それを無視した「国語」改革は一体どこに行き着くだろうか。
幸い、2021年春に実施された第1回の大学入学共通テストでは、なんとあれだけ騒がれた「実用文」は一切出題されなかった。血眼になって新傾向の対策をした受験生にとってはお気の毒というしかないが、これは試行問題からの大規模な退却であり、無謀な改革への反省のあらわれととるなら望ましいものである。実際に今回の作題に携わった関係者の中からも、もともとこの改革に反対だったという声を多数聞いた。改革を一心に推し進めた首謀者とそのグループは、新傾向の市販の問題集を発売し、途中で辞任したというニュースもあった。あまりに人騒がせな改革の顚末だった。
ただし、出題の枠組み自体が取り下げられたわけではなく、「実用文」がもう絶対出題されないと決まったわけではない。2022年の出題がどうなるのか非常に注目されるところだ。