新たに掲げられていた会社名
一方、そこには新たに出版社の会社名が掲げられていた。調べてみると千乃正法会の書籍のみを扱う会社で、東京から移転してきたようだ。出版社ではあるが、実質的には千乃正法会と同一組織とみていいだろう。
その関係だろうか、敷地内の空き地には新たな建物が建っていた。これまで大きな建物が一棟あるだけだったが、見える範囲で少なくとも4棟は増えていた。
大きな求心力を持っていた千乃氏の逝去は、千乃正法会にも大きな変化をもたらしたようだった。
一時期、あれだけ注目を浴びたパナウェーブ研究所だったが、騒動の6年後には姿を消した。現在も千乃正法会自体は存続しているものの、2003年当時には1000人以上いたとされる信者の数は、大きく減少していると推定される。
18年後の本拠地を訪ねてみた
あれから18年が過ぎた今、現地はどうなっているのか。私は久々に福井県の山あいを訪ねた。元々静かな集落だったが、しばらく来ないうちにさらに廃屋が増え、よりひっそりとしていた。
キャラバン隊の一行が一時期滞在していた小中学校は相変わらず休校のままで、校庭の様子も何も変わっていなかった。
本拠地の前に着くと、以前と変わらず出版社の看板が掲げられていて、郵便受けには千乃正法会の名前もあった。白い布は皆無で、外から見る分にはごく普通の建物に見える。停まっている車両も数台ほどで、最盛期に比べると激減していた。
私は呼び鈴を押して応答を待った。すると、中から1人の男性が出てきた。千乃正法会とパナウェーブ研究所のことについて話を聞きたいと申し出たが、こんな言葉が返ってきた。