文春オンライン

2021/08/16

「正直、ダメ出しをするのがつらいときもあります」、そう稲田は語る。「ときには金融機関の取り組みに、『これは危ない』とブレーキをかけなきゃいけない。早い段階でリスクに気づければいいのですが、最後の最後になって発覚するケースもある。そうなると『カットオーバー(新システムを稼動させること)の延期を検討』といった話をしなければならないこともあります。延期すれば、金融機関の経費負担は何十億円も増える可能性がある。でも、リスクをそのままにして突っ走ることで最終的に被害を受けるのは顧客、国民の皆さんです」

 顧客の信頼が損なわれれば、金融サービスは成立しない。システムを含む金融機関の顧客保護態勢をモニタリングし、正し続けることで、金融機関の信頼獲得を影で支えるのが金融庁の重要な役割だ。

金融庁(wikipedia commons「Rs1421」より)

オンラインで対応可能な手続きはわずか「9%」

 金融庁は、「金融DX」を掲げ、金融機関等との行政手続きの完全電子化を進めている。現在、金融庁が管轄する1767の手続きの種類のうち、オンラインで対応可能なのは160、わずか約9%にとどまる。一方、2020年に受け付けた約130万件の申請のうち、オンラインでの申請は約110万件、約85%にも上る。金融庁に用がある人々は、着実にオンラインに移行しているということだ。

 稲田は、「金融庁はデジタル化に後れを取っている」と語る。前例踏襲で旧態依然としたシステム運用を続けてきた金融庁は、デジタル化の前に、まずは業務改革(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)が必要だという。

 国際会議に出席している幹部職員からも、「金融庁はシステムの自由度が低い」と指摘されたことがある。国によって状況が全く違うため一概に遅れているとは言えないが、単純に横並びで比較すると、金融庁は業務もシステムも後れているように映るという。

 見直すべき業務には、どのようなものがあるのだろうか。例えば、金融機関には金融庁が求める報告書や届け出を提出する義務があるが、同じ内容のものを他の規制当局や自主規制団体にも出さないといけないことがあるという。一つ作ってそれぞれに送るならまだ楽だが、現状は、フォーマットがバラバラで使い回しができない。

「これを一本化して、ワンストップにできるようにしてほしいという提言が寄せられています。こういった意見を真摯に受け止め、関係機関と協力しながら改善を続け、金融機関がより生産性の高い業務に注力できるようになればと考えています」

もはや人間の力だけではモニタリングしきれない

 金融取引や金融サービスの高度化も、DX人材の必要性に拍車を掛けている。進化が著しく、もはや人間の力だけではモニタリングしきれないのだと稲田は言う。「例えば、証券取引には高頻度取引や高速取引と呼ばれるものがあり、ミリ秒単位のスピードで取引されます。そんな処理の中で相場操縦をされると、不正をすぐに見抜けなかったりするわけです。しかし、どんな時代になったとしても、公正な取引市場を維持していくのが金融庁の使命です。取引の仕組みが高度化すると同時に、それをモニタリングするわれわれも高度化していく必要があります」

 悪意ある人々は、高度化した仕組みを巧みに利用する。そんな中「Excelで不正な取引を再現してみよう」なんてやってはいられない。この先は、AI、スーパーコンピューターあるいは量子コンピューターの運用といったように、これまで金融庁がやってこなかった方法で、悪意に対抗していく必要が出てくるだろう。

「正直言って私もそろそろ隠居を考える歳ですが、毎日が勉強です」と稲田は笑う。新しい技術や世の中のトレンドを理解し、可能な限りそれを使いこなしていく必要があるという。稲田自身、国内外のITトレンドやサイバー攻撃の手口には常にアンテナを張り、スマホに通知が届くよう設定している。外の専門家との情報交換も繰り返し行い、コロナ禍以前は、頻繁に全国の金融機関を回ってサイバーセキュリティの勉強会を行っていた。

 金融庁には、金融機関のITガバナンスをモニタリングする役割もある。これは、金融機関の経営陣が、きちんとIT戦略に関与し、実際にコントロールできているのかを見極めて、できていなければ意識改革を促すものだ。指摘する金融庁自身がトレンドを追うことを怠れば、巡り巡って金融機関のレベル低下にもつながるだろう。

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