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「絶対に違う言うてるやろ!」

「毒についてだけど、裁判で入手先は出入りの業者だって言ってたよね?」

「そうや、毒は出入り業者から貰ったんよ」

「名前とか憶えてる?」

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「たしか和歌山の人やったと思うけど、もう忘れたわ」

「でも、青酸で布の色を落とすとかって、本当にできるの?」

「そんなん私、専門家やないから、よう知らんわ。ただ、私がそう言われて貰ったのは間違いないから。うちで扱ってた製品のうち高級品で色のミスがあったら大変やろ。それを消すためやって……」

「でも高級品って扱ってた? 赤ちゃんの前掛けとか、子供のパンツとかじゃなかった?」

「違うわ。それ以外にも高級な製品があるやろ。その色のミスを消すためやったの……」

 千佐子は徐々に感情を昂(たかぶ)らせ、こちらの質問を言下(げんか)に否定しては同じ説明を繰り返した。

「絶対に違う言うてるやろ!」

 興奮した彼女は「警察は十把一絡(じっぱひとから)げで私がやったと言ってる……」と、論点から外れたことまで口にして声を荒げた。それは途中でこちら側が折れなければ、今後の関係が切れる、と危惧するほどの烈(はげ)しさだった。彼女のなかには、こうした激流が渦巻いているのだ。

 なんとか会話を犬の話題にスライドさせ、残り五分で彼女の機嫌を取り戻した。やはり矛盾点の指摘は、面会を打ち切られる覚悟が定まるまでは難しいと実感した。

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 ふだんの明るく饒舌で愉快なおばちゃんの表情、そして激昂して怒りをぶつけてくる烈しい女の表情。この2つのほかに、千佐子はもう一つ表情を持っていた。 

 それは、こちらが彼女を詰問するでなく、事件について話したり質問しているときに、それを聞きながら見せる昏(くら)い表情だ。おばちゃんでもなく女でもない。あえて言えば鵺(ぬえ)のような、という言葉が適当な気がする。

 そうなると、彼女は腕を組み、上体を後ろに反らす。そして顔から感情が一切消えるのだ。黒目は漆黒で、なにを考えているのか、まったく読み取ることができない。それが、遮断した鵺の表情だ。

 私が目にしたのはこの3つの顔だった。