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 これだけ多くの番組を抱えていれば、むしろフリーになったほうが稼げるだろう。実際、以前よりフリー転身の噂は何度となくささやかれてきた。しかし、安住はあくまで局アナの立場にこだわる。いまから15年前、2006年に刊行した著書では《タレントやフリーと同じ、テレビに出ることが仕事とはいえ待遇や役割はまるで違う。矛盾や過剰な要求にやりきれなくなるときもあるが、逆に局アナだからこそ会社や同僚に関わりあえることもたくさんある。テレビに出る仕事という前に、一放送局員であるということが誇りでもある》と書き、いずれITなどに押されて斜陽産業になってもテレビはまだ戦えると信じて、《僕ら局アナにもまだやるべきことがある、いや局アナにしか成し得ないこともたくさんあるはずなのだ》と決意を表していた(※2)。

「『訴状!』って感じで物申せるんです(笑)」

 局アナにしかできないこととは何か? 昨春、『週刊文春』の対談ページ「阿川佐和子のこの人に会いたい」に登場した安住は、聞き手の阿川佐和子に訊かれ、次のように答えている。

『週刊文春』の「阿川佐和子のこの人に会いたい」に登場 ©文藝春秋

《局アナはスタッフと身分として同じなので、出演者として不満があれば「企画会議のときにも同席させてください」と言うことができる。自分が変えたいと思っていることに対しては、ラディカルに変えられる側面があります。フリーランスだと「一ご意見として承ります」となってしまうかもしれないので。(中略)あとは現場で、「上がこう言ってますから変えられないんですよ」という話になったら、「わかりました。じゃあ私が上と話をしましょう」と言って、サラリーマンとしての肩書を持って刀を抜ける。一応私は局次長待遇という肩書[引用者注:当時]があるので、上のほうまで「訴状!」って感じで物申せるんです(笑)》(※3)

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ラジオを始めたきっかけは…

 著書でも《テレビを変えるには、外部のフリーランスの立場ではなく、放送局員の立場であったほうが早いという側面が、フリーランスにならない一番の理由かもしれません》と書いている(※1)。自分の場合、フリーになるよりは、社内で出世したほうが発言力も増し、ひいてはテレビ業界にも貢献できると、彼はずっと信じてやってきたのだろう。

 一方で安住はラジオも大切にしている。前出の『安住紳一郎の日曜天国』は、2005年4月にスタートしてすでに16年が経つ。番組誕生のきっかけは、午後のワイドショー『ジャスト』の終了にともない、出演する生番組がなくなったことだ。入社以来、生番組を中心にやってきて、自分でも向いていると思っていただけにショックだったという。そこへ声をかけてくれたのがラジオであった。