――サブテキストは、過去作の『ハッピーアワー』(15)や『寝ても覚めても』でも用意されたそうですが、そこではあくまで脚本外の要素としてあったわけですよね。
濱口 そこはなかなか切り分けられないですね。サブテキストを書くことで自分自身もメインの物語の理解が深まることがあり、それが反映されるサイクルがあります。『ハッピーアワー』でもサブテキストを書くうちに気づけば5時間以上になってしまった。今回は、『寝ても覚めても』で抑制していたサブテキストが脚本に入ってくる傾向を自分に再度許したと言えます。みさきの過去の話は本来本編には出さないつもりでした。でもみさきがこういう行動をとる理由が明瞭になった方が、演じる役者だけでなく、観客も映画に入っていきやすくなるのでは、と思うようになり、徐々にサブテキストが流入してくるのを許していったわけです。
韓国の映画作りにも以前から興味がありました
――本作には各国の俳優たちが参加し、撮影地には韓国が選ばれていますね。
濱口 最初は釜山で撮るという企画から始まりました。とにかく車を自由に走らせられる場所をと考えたとき、東京で撮るのは難しい。それなら、韓国の映画作りにも以前から興味があったので、釜山がいいんじゃないかと。結局コロナ禍で釜山での撮影を諦めざるを得なくなり、予定の場面をまるごと広島に移したんですが、結果的にはとてもいい風景が映ったと思います。
――韓国での撮影計画、それから言葉が通じ合えない人たちの物語は、以前製作された『THE DEPTHS』(10)からの繋がりでもあったんでしょうか。
濱口 そのときの経験がきっかけで国際共同製作への興味が生まれたのはたしかです。自分が当然だと思っていることがまるで通じない環境で映画をつくる。それはつらいけど案外悪くないな、と思えたのが『THE DEPTHS』での経験でした。それが今回の発想の源にあったように思います。多言語による演劇は、アメリカで1年暮らしたことと、ここ数年映画祭などに呼ばれて異文化に接する機会が急激に増えたことが発想源です。いろんな言葉が飛び交うなかでコミュニケーションをとる状況が近しくなり、こういう話を作るのが不自然じゃない身体感覚になってきたんです。