「いや、もっと下手にやってくれ」とは絶対に言わない
――物語が進むにつれ、「生きること」を巡り真摯な対話が交わされ、それが『ワーニャ伯父さん』の物語と見事に重なりあうように感じました。後半、家福がみさきに言うある言葉はまさにこの戯曲から生まれたものでは、と思えたのですが。
濱口 『ドライブ・マイ・カー』に限らず、村上春樹さんの、特に長編小説には常に、色々なことをくぐり抜けてそれでも生きていこうという感覚が強くある。短編小説を長編として映画化する際には、たとえ全然違うことをやってはいても、その精神性みたいなものはしっかり原作に準じなければと考えています。だからこの原作と短編集は何度も読み直しましたし、そこから受け取ったものをちゃんと映画とリンクさせようとしたつもりです。原作にこの戯曲が登場したからこそ映画にも組み込んだわけですし。この映画に『ワーニャ伯父さん』と通じる部分が多いとすれば、それはやはり村上さんの小説が自然に引き起こしたのだと思います。
――劇を作っていく過程で、俳優たちの演技のグラデーションが描かれていきますよね。高槻(岡田将生)の演技が最初は上手くいっていないのがだんだん良くなってきたり、女性二人の演技でたしかに何かが起きた、という感動的な瞬間が描かれたり。俳優さんたちはこうした演じ分けをどのように行っていたんでしょうか。
濱口 演じ分けというものはないです。もちろん、そこに脚本を読んできた役者さん自身の解釈は入ると思いますが、それも「本読み」でふるい落とした上で撮影に入るので、本当に単純に、どのシーンも「一生懸命やってもらう」ということです。重要なのはカメラの置き方、映し方。演技のどこに焦点を当てるかによって見え方は全然違ってくるので、あとはこちらの撮り方によって物語に当てはめさせてもらうわけです。たとえば、カメラに背中を向けていたら、どれだけいい演技でもそういう風に見せることは難しい。それは舞台の観客にとってもそうでしょう。その感覚を利用したりしたと思います。
――すると演技自体が変わるのではなく、撮り方の違いで変化を見せるということですか。
濱口 そこはすごく複合的です。どれだけ準備したかで演技はまったく変わってきますから。たとえば公園でのジャニス(ソニア・ユアン)とユナ(パク・ユリム)のシーンはみんなでしっかり準備してやったからこそあれほど素晴らしい演技になったわけです。一方で、高槻とジャニスの演技が上手くいかない場面では、ある程度ぶっつけ本番でやる必要がありました。幸か不幸か、演技って普通にやったら上手くいかないもの。ただ、実際やったら「あれ、意外といいじゃないか」と現場ではなってしまった。少なくともわかりやすく「ひどい」演技にはならなかった。ただ、たとえこちらが思ったような演技にならなくても、「いや、もっと下手にやってくれ」とは絶対に言わないですね。役者を演じて、かつわざわざ下手に演じることは、役者さんには非常につらい体験になりますから。だから撮れたものを受け入れた、ということのほうが実際かも知れません。結果的に、その場面がそこまで良くないように見えるとしたら、後半の場面における演技の伸びが素晴らしかったからだと思います。カメラと演技の関係も後半になるほど、研ぎ澄まされていく印象がありました。(#2に続く)
はまぐち・りゅうすけ 1978年生まれ。2015年に監督した『ハッピーアワー』でロカルノ国際映画祭最優秀女優賞を受賞し、大きな注目を集める。『寝ても覚めても』に続きコンペ部門に正式出品された『ドライブ・マイ・カー』で日本映画として初めてカンヌ国際映画祭脚本賞(大江崇允との共同脚本)を受賞、国際映画批評家連盟賞他独立賞3賞も受賞した。ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した『偶然と想像』は今年12月に公開予定。
INFORMATION
『ドライブ・マイ・カー』
8/20(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
出演:西島秀俊 三浦透子 霧島れいか/岡田将生
監督:濱口竜介 脚本:濱口竜介 大江崇允 音楽:石橋英子
原作:村上春樹 「ドライブ・マイ・カー」 (短編小説集「女のいない男たち」所収/文春文庫刊)
配給:ビターズ・エンド
<2021/日本/1.85:1/179分/PG-12>
©️2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
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