映画『ドライブ・マイ・カー』を見て呆然とした。作品の中に無数の物語が存在し、その一つ一つが驚くほどの強度を持つ。どうすればこれほど力強い映画が生まれるのか。原作は村上春樹の短編集『女のいない男たち』に収録された同名作品。妻を亡くした俳優の家福と運転手のみさきが車内で交わす会話劇をシンプルに描いた小説だ。映画ではこの短編を軸に、西島秀俊、三浦透子、岡田将生、霧島れいから豪華な出演陣が壮大なドラマを展開させる。
監督は、近年国際映画祭で数々の映画賞を受賞、また『寝ても覚めても』(18)に続いてカンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品された本作で日本映画初の脚本賞(大江崇允との共同脚本)を受賞(他独立賞3賞を含む)し、世界的に大きな注目を集める濱口竜介。カンヌ参加前の濱口監督に、この驚くべき傑作の演出方法について、そしてカメラによって俳優の演技を撮る難しさについて、たっぷりとお話をうかがった。(全2回の1回目/後編を読む)
「サブテキスト」と呼ぶ登場人物の来歴や心情を書いた資料
――映画化の際、最初に濱口さんからこの原作で撮りたいと提案されたそうですね。村上春樹さんの小説は以前からお好きだったんですか。
濱口 ええ、元々村上春樹さんの小説はよく読んでいました。長編はほぼ読んでいるはず。ただこの短編が収録された『女のいない男たち』は、知人から「あなたが好きかもしれない」と勧められて読んだものです。当初、プロデューサーの山本晃久さんからは村上さんの別の短編を提案されたんですが、僕は映画化するなら『ドライブ・マイ・カー』をやりたいと話し同じ短編集の他の小説も取り入れ作っていきました。
――別の二つの短編を組み込んだだけでなく、家福(西島秀俊)や妻・音(霧島れいか)、みさき(三浦透子)、それぞれの登場人物にまつわる物語がいくつも挿入され、さらに広島での演劇祭という映画オリジナルのドラマが展開しますね。ここまで物語を膨らますにはかなりの尺を求められると思うんですが、上映時間のことはどうお考えだったんでしょうか。
濱口 プロデューサーからは、上映時間は140分に収めるよう堅く言われていたんですが(笑)。なぜ長くなったかというと、車の場面が時間を予想以上に取る、とか理由は色々ありますが、一番は役者が演じやすい場を作るにはどうするかと考えていった結果ですね。僕は毎回、脚本とは別に「サブテキスト」と呼ぶ登場人物の来歴や心情を書いた資料を用意します。みさきの過去には実はこういうことがあったとか、家福と妻の関係はこうだったとか。役者は資料を読むことで役をより理解しやすくなり、その理解が役に還元される。何なら、実際に演じることが望ましい。そのため、このサブテキストの要素を脚本に付け加えるうち物語が大きくなっていったところがあります。