霞が関のトップエリートが集う財務省。そこでは「ワル」と言えば、いわゆる「悪人」ではなく、「やり手」という一種の尊称になる。しかし、事務次官のセクハラ、国税庁長官の公文書改ざんなどで、“省庁の中の省庁”に巣くうワル文化はもはや崩壊待ったなしだ。

 当代一の財務省通・岸宣仁氏の『財務省の「ワル」』(新潮社)より一部抜粋して「ワル」たちの内幕を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

「変わった奴、面白い奴をどんどん採ったから」

「ワル」──その蛮カラ気質は、換言するとこの一言に尽きる。財務省の中で「あの人はワルだから」と言った場合、いわゆる「悪人」を指しているわけではない。むしろ、「できる男」「やり手」といったニュアンスで、一種の尊称として使われてきたのだ。

 あえてビアスの『悪魔の辞典』風に説明すれば、財務省用語の「ワル」は次のように定義できるかもしれない。

「湧き出るアイデアを手品のようにちらつかせながら、人たらしの本性そのままに清濁併せ呑む泥臭さをもって相手を説き伏せ、知らず知らずのうちに政策を実現させてしまうずる賢さ」

 そうした芸当は、単なる青白き学校秀才では難しい。「勉強もできるが、遊びも人並み以上にできる」タイプが求められ、秀才揃いの中から頭一つ抜け出して出世街道を歩むには、旧制一高の校風に見られた蛮カラ気質のようなものが必須条件になっていたのである。 

©iStock.com

 省内に巣食うワルの文化に、外から激しい批判の嵐が吹き荒れたことがある。官官接待のあり方が厳しく問われた1979年の公費天国キャンペーン、民間金融機関からの過剰接待により112人の大量処分を出した98年の大蔵省不祥事は、いずれも同省の屋台骨を揺るがす大事件であった。そして2018年、福田淳一元事務次官〔’82〕のセクハラ疑惑、佐川宣寿元国税庁長官〔同〕の公文書改ざんと、同期の出世頭2人が1か月余の間に相次いで辞職に追い込まれたのは記憶に新しい。

 それぞれの出来事が起きた年を追うと、ほぼ20年ごとにスキャンダルが勃発している。その度に組織にメスが入ってもなお、ワルの文化は隠花植物のように財務省の地下茎として根を張っていたといっていい。