宇都宮という街において、はじめて登場した駅は1885年に開業した現在のJR宇都宮駅だ。当時は日本鉄道という私鉄の駅で、のちに国有化されて東北本線の駅となった。JRに移行してからは宇都宮線という愛称が使われるようになって、今に至っている。
宇都宮駅が開業するまで、宇都宮の中心を担う“交通”は奥州街道という街道だった。その街道は市街地の西側を南からやってきて、現在裁判所がある付近で東に折れて宇都宮駅前の田川を渡る手前で再び北へゆく。さらに、裁判所付近で奥州街道は日光街道を分けていた。つまり、近世の宇都宮は江戸から奥州方面へ向かう道筋の途中にあり、さらに日光への道筋を分ける交通の要衝だったのだ。
とりわけ日光は徳川家康をまつる日光東照宮が鎮座する、徳川将軍家にとっては何よりも重要な地。その手前に控える宇都宮の街は、信頼のおける譜代の藩主によって代々治められてきた。江戸時代の初期には本多正純が2代将軍秀忠を暗殺しようとした“宇都宮城釣天井事件”もあったとか。実際には宇都宮城に釣り天井などなかったようで作り話らしいが、いずれにしても宇都宮はそうしたエピソードが生まれるような土地だったのである。
そうした枢要の地としての宇都宮の歴史は、近代以降も北関東最大の都市としての発展につながってゆく。1885年の宇都宮駅開業はおとなり群馬県の高崎よりもやや遅れたが、1907年には陸軍第14師団が設置されて軍都としても発展していった。ちなみに、この第14師団が満州での任務を終えて帰国した際に餃子を宇都宮に持ち込んだのが、餃子の街・宇都宮のはじまりだとか。
2つの「宇都宮」
古き城下町と交通の要衝として、そして軍都として発展した宇都宮において、近代以降中核にあったのは宇都宮駅であった。宇都宮駅のペデストリアンデッキからまっすぐに市街地に向かって伸びている大通り。これは田川を渡ったところでかつての奥州街道に合流する。
町外れに設けられた駅と市街地を結ぶために新たに目抜き通りをつくった例はあちこちにあるが、宇都宮の場合はもともとあった大街道をそのままターミナルへの連絡路に活かしたというわけだ。結果、宇都宮駅はまっすぐ西に進めば中心部という、北関東最大の都市の玄関口らしい役割を果たすことになった。
それでも地域の人にとっては少し宇都宮駅は市街地から遠すぎるという意見もあろう。駅から歩いてもいいけれど、暑い夏や寒い冬は難儀する。だから、というわけではないだろうが、より市街地に近いところに1931年に東武宇都宮線が開通、東武宇都宮駅が開業する。
いまの東武宇都宮駅は東武百貨店と一体化した、いかにも私鉄のターミナルらしい駅である。といっても、規模はやはり小さくて、駅のお客の数はJR側と比べるまでもない。かつては東京(浅草)方面への特急列車も走っていたが、今はなくなった。
それでも、目の前からオリオン通りが続いていることや市役所、県庁などにも近いことから、宇都宮方面に通勤する人たちにとっては貴重な交通機関になっている。宇都宮市の郊外に位置する東武宇都宮線西川田駅の近くには、カンセキスタジアムとちぎという2022年栃木国体のメイン会場が完成したばかりだ。
新幹線もやってくる街の玄関口たる宇都宮駅と、市街地に近く地域輸送の要たる東武宇都宮駅。この2つのターミナルをかつての奥州街道にルーツを持つ大通りと500mに及ぶアーケード街のオリオン通りが結ぶ——。これが、宇都宮市街地を巡る構造である。