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「人生で最高の桃」「俺も6個いける」オリンピックプレスルームで勝手に始めた「福島の桃デリシャスプロジェクト」の話

2021/08/14
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「ええ、いいんですか」

 アメやガムなら気軽に「どうですか?」と勧めることができる。でも知らない記者がいきなり鞄から桃を取り出して「どうですか?」と勧めてきたら自分ならびっくりするし、断るかもしれない。

 桃を配るのはハードルが高い。

 余談になるが、どうして難易度を表現する際に「ハードルが高い」と言うのだろう。ハードルの高さは一定で、それよりも上がることはない。つまり桃を配る難易度はハードルどころではなく、走り高跳びのバーくらいだ。

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 最初の人に「要らない」と断られたらぽっきりと心が折れてしまう。100mダッシュでスタートが肝心なように、最初の人選はとても大切だ。

 というわけでプレスルームを見回すと、赤の中国ユニフォームTシャツを着た中国人陸上ライターの田兵さんが働いていた。田兵さんとは欧米の大会でもよく一緒になる。いつも笑顔でとても穏やかな人だ。

 もう彼しかいない。

 さりげなく隣に座って挨拶し、これまたさりげなく桃を勧めると田兵さんは、「ええ、いいんですか。親切にありがとうございます」と言ってくれた。私にターゲットにされたことなど全く気づいていない様子である。

中国人陸上ライターの田兵さん 筆者撮影

 桃の写真を撮って、自身のSNSにも載せてくれた。「美味しそうですね。ホテルに持って帰って食べるね」と大事にタオルに包んでカバンに入れていた。持つべきものはいい友人だ。

海外スタッフが涙ぐんだ理由

 田兵さんの言葉に勢いづいて、その後も「食いしん坊そうな友人知人」に配って歩いた。

 日本在住のスタッフや記者の方々には申し訳ないけれど、数に限りがあるので、日本の桃を食したことがなく、隔離で外に出られない海外スタッフや記者限定で配ることにした。

カナダチームの広報担当にもおすそ分け 筆者撮影

 国立競技場のメディア担当のソフィーにあげたら、なぜか涙ぐんだ。そんなに桃が好きなのかな、それはそれは福島の方達も喜びますよ、と思っていたら、ちょっと様子がおかしい。

 数時間後、桃を食べ終えたソフィーが耳元でこう囁いた。

「毎日、日付が変わる頃にホテルに戻るから、コンビニでしかご飯が買えないの。スーパーにもあまりいけないし。だから桃がすごくうれしかった。ちなみに昨日は、競技場のVIPルーム(IOCの来賓などが訪れる)の食事の残り物のおこぼれにあずかって久々にサラダを食べたんだけど、それもうれしかった」

 遅くまで働くスタッフにIOCスタッフの残り物を渡すなんてもってのほか。ちゃんとした食事を提供すべきだ、と怒りを感じたがそういう話はまた後で。でも泣くほど喜んでもらえて良かった。

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