「小平の性欲衝動も感情激発性も相当強いものであったには違いないが…」
一方、妻との関係は性生活も含めて良好で、妻は小平を愛妻家と信じていた。また、自分の子どもに注いだ小平の愛情は尋常ではなかった。このあたりが彼の人間像を描きづらいところだろう。精神鑑定書も「彼の日常の対人間関係などは大体円滑で、こちらの調子の取り方一つでは、気軽に交際のできる、さっぱりした面白い人間でさえある」としている。
精神鑑定は最終的にこう結論づけた。「小平の性欲衝動も感情激発性も相当強いものであったには違いないが、しかし、いかにしてもこれらを制御し得ないほど重篤かつ高度の精神異常者ではなかったと判断する。従って小平は甚だ珍しい型の生来性性格異常者で、しかもなお、責任能力のある人格と判定する」。
刑事責任を認めたのは当然としても、小平の犯行を「厳密な意味の嗜虐症(サディズム)や快楽殺人とは言われない」としつつ「嗜虐症は全然存在しなかったかというと、そうとも断定できないのである」と歯切れが悪い。小平の人格全体を解明した鑑定とは言えない結果だった。
同年6月18日の一審判決は7件を認めて死刑。「審理を尽くすべき」とする弁護団の方針で控訴したが、1948年2月27日の控訴審判決も同じく死刑。1948年11月16日、上告棄却となり、刑が確定した。
弱者に向かう暴力と「犠牲はやむを得ない」の理不尽
精神鑑定医に対する小平の供述、中でも暴行殺人や彼独自の“性哲学”を読んで、気分が落ち着かなくなるのはなぜなのだろう。鑑定書は「本事件犯行当時の小平の精神状態には、強烈な性衝動と、残虐な暴力行為に傾きやすい性格特徴が併存していた。この両者が合流したので、性的内容を備えた暴力犯罪がここに生じたのである。それは生まれつき特別な性格と衝動性の組み合わせを持った性格異常者の犯罪で、かかる種類のものは、その軽いものまでを数えれば世上に甚だ多数に存在する」と述べる。
野村正男「小平事件の秘密」(「法廷夜話」所収)はその点を捉えて「つまり、『小平の素質』は、実は彼だけに限られたものではない、というのである」と解釈している。もしかしたら、自分にも「小平の素質」がわずかでもあるのではないか。そう考えてひそかに戦慄するのかもしれない。
ただ、それだけではない。佐木隆三「淫獣 小平義雄」(「問題小説」1980年8月号所収)も「性の自分史において、小平義雄が際立って異常であったとは思えない。社会人としてそれほどの破綻もなく、市民生活を営む男性にしたところで、彼を上回る性経験を有しているといえまいか」と指摘したうえでこう書いている。「ただ彼は、性の快楽を享受するを急ぐあまり、女性の側の事情を考えなかったため、淫獣になり下がったのである」。
ある人たちは、小平が中国で暴行殺人を犯したことをとって、戦争が彼をそうした行為に走らせたと主張する。加太こうじ「昭和犯罪史」は「変質者小平を作りあげるのに、日本の軍隊と、日本の中国に対する侵略と中国人を蔑視させる教育が大いに役立っていたわけである」と述べる。
それも間違った理解ではない。ただ重要なことは、戦争は兵士同士の殺し合いであり、兵士の運命はもちろん悲惨だが、「銃後」の人々も心身に大きな惨害を受ける。特に悲惨なのは、女性と子ども、高齢者、障害者ら、弱者が犠牲を強いられること。そして、「そうした犠牲はやむを得ない」とするのが戦争の論理だ。