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 小平義雄は身長158センチ。当時の成年男子としても小柄だった。そのことが女性に圧迫感を感じさせず、一見優しい口調や物腰とあいまって警戒心を緩めさせたのだろう。しかし、いったん力で向かえば男女の差は大きい。小平義雄の暴力は徹底して自分より弱い女性に向けられた。力で征服し、そして命を奪う。敗戦後間もなく、まだ強く残っていた戦争の残影としての小平の行為の理不尽さが、75年たったいまもどうしようもなくいらだたしく、怒りを沈潜させる。

 そう考えていくと、いまも数えきれないほど起きている子どもや高齢者、障害者らへの虐待やいじめ、ネグレクトなども、ほぼ全てが弱者に対する強者の仕打ちだ。戦争の時代でもないのに……。問題の本質はいつの時代も変わらないのか。

服役中の小平(「捜査課長メモ」より)

小平、死刑執行の日

 1949年10月5日、死刑執行。翌10月6日付読売は「橋を渡って刑場に入る小平」という前代未聞の特ダネ写真とともに2段で報じた。

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【仙台発】8人(7人の誤り)のうら若い女性を次々に暴行、絞殺した強盗強姦犯人・小平義雄(45)は5日午前9時50分、宮城刑務所で死刑を執行された。

 

 この朝、小平は午前6時起床。朝飯を食べた後、そぼ降る秋雨を眺め、中川玄昭教誨師(35)に「こういう落ち着いた日に死ねるのは幸福だ」と語り、同9時半、教誨堂で公文刑務所長に宣告を告げられ、饅頭を「うまい、うまい」と食べ、「ひかり」をゆっくりとふかした後、中川教誨師の読経に静かに頭を下げ、被害者たちの冥福を祈った後で、便箋2枚に妻セキさんへ宛て「子どもだけは立派に育ててほしい」旨の遺言状を書きつづり、やがて落ち着いた態度で同9時50分、死刑台に上り、10時2分、絶命した。

小平の死刑執行を報じる読売。執行直前の特ダネ写真を載せている

 赤城慧「死刑囚 絞首して罪は消えるか」に収録された「淫獣小平義雄の獄中実記」は、獄中で小平と交流があった青年が、刑務所関係者と思われる人から聞いた小平の最期の姿を書き留めている。「台に上がって縄がかかると、声を出して、殺害した人々の名前を呼び、許しを乞うた―。これが最期だったといわれます。自分を失うまいとして、血の気の引いた体を一生懸命支えているように見受けられたとのことでした、と」。絞首で罪は消えるのか、考えさせられる。

【参考文献】
▽東京法令研究所・渡邊貞造「死の抵抗―小平義雄事件の公判記録」 石狩書房 1949年
▽三宅修一「捜査課長メモ」 人物往来社 1962年
▽橋本健二「はじまりの戦後日本」 河出ブックス 2016年
▽上野昂志「戦後60年」 作品社 2005年
▽野村正男「法廷夜話」 朝日新聞社 1956年
▽加太こうじ「昭和犯罪史」 現代史出版会 1974年
▽赤城慧「死刑囚 絞首して罪は消えるか」 大衆社 1956年

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 生々しいほどの強烈な事件、それを競い合って報道する新聞・雑誌、狂乱していく社会……。大正から昭和に入るころ、犯罪は現代と比べてひとつひとつが強烈な存在感を放っていました。

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