スポーツの祭典であるオリンピックと、日本の夏の風物詩である甲子園の取材を、私は20年にわたってライフワークとしてきた。4年に一度、両イベントは同じ夏に開催される。今年は五輪閉会式の翌日に甲子園が開幕するというスケジュールが組まれたため、全日程に足を運ぶことも可能だ。

 こうしたメガイベントのセレモニー(開閉会式)には、その大会の性質が色濃く反映される。たとえそれは、無観客の異例開催であっても同じだ。

 開幕の直前に楽曲を担当する小山田圭吾氏が辞任し、演出を統括する「ショーディレクター」を務めていた元芸人ラーメンズの小林賢太郎氏も前日に解任されるという大混乱の中、7月23日の東京五輪開会式は始まった。あまりのドタバタぶりに、テレビの前にいた誰しもがあら探しをするような目で式の顛末を見届けたのではないだろうか。

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オリンピック開会式であがった花火 ©️JMPA

開会式は、好意的に受け止めた

 案の定、セレモニー終了後は国内外で酷評が相次いだ。が、会場にいた私は好意的に受け止めた(もちろん、2時間続いた入場行進はあまりに長く、トーマス・バッハIOC会長の13分に及ぶ演説には辟易したが)。それはオープニングに登場したひとりの女性アスリートのキャスティングがとにかく腑に落ち、私の穿った目を一変させたからだ。

 暗闇の国立競技場で、スポットライトを一身に浴びた白いトレーニングウエアの女性はボクシング選手の津端ありささんだった。彼女は今年6月の世界最終予選への出場を予定し、五輪切符を手にするラストチャンスに賭けていた。

開会式に登場した津端ありさ選手 ©️時事通信社

 ところが大会がパンデミックの影響を受けて中止となり、リングに上がることなく道は潰えた。開幕の1カ月前、私は津端さんを取材する機会があり、ぶつけどころのない怒りとやりきれない想いに加え、普段の仕事である看護師の立場として開催の可否について複雑な感情を吐露していた(無論、守秘義務があるため、開会式への出演は明かしていなかった)。

 さらに彼女は日本人の父とタヒチ人の母との間に生まれたハーフである。オリンピアンになることを目指した医療従事者であることと彼女のアイデンティティそのものが、コロナ禍に「調和と多様性」のテーマを掲げて開催する五輪を象徴する。オープニングに彼女を登場させたことが、そのまま全世界へのメッセージだった。