式典は淡々と進んでいった。度肝を抜くような演出といえば1824機のドローンを使って大会エンブレムと地球儀を国立競技場の上空に描いたことぐらいだったが、俗っぽいタレントの起用もなく、一過性の流行曲でガヤガヤすることもなかった。地味で簡素化された開会式。それはそれで「あり」だった。タレントの竹中直人が開会式の前日に辞退していたことも終了後に発覚したが、現場の混乱は覆い隠し、見事に帳尻をあわせていたようにも映った。
ところが、17日間の戦いを終えて行われた閉会式は失望の連続だった。
開会式の入場行進が長くなったのは、選手間のソーシャルディスタンスを保つことが理由だった。ゆえに入場行進は2時間を越えた。早い段階で入場した選手は待ちぼうけをくらう。競技に支障が出ることも考えられ、そそくさと退場する選手団も多かった。
一方、閉会式では205の国と地域の選手団が一斉に入場しその後は国立競技場のトラック内に全員が待機する。ゆえに、トラック内の「密」度は閉会式が圧倒的に開会式を上回る。間もなく祭りも終わるとあってマスクをしていない選手も多く、感染予防を徹底する意識は希薄に感じられた。
宝塚歌劇団の国歌斉唱にはじまり、東京スカパラダイスオーケストラの演奏にのせて、「昼下がりの公園」に見立てたステージ上で若者によるBMXやスケートボードのパフォーマンスが行われた。今大会から正式種目となったスケボーやBMXの世界のトップアスリートを前に、あえてこのパフォーマンスをぶつける必要があったのだろうか。
東京とパリの残酷な温度差
1990年代から活躍するスカパラの演奏自体は素晴らしかった。式典中にはピチカート・ファイヴの楽曲もBGMとして使われていた。90年代の渋谷系ミュージックのど真ん中世代である筆者には、こうした人選や選曲に小山田氏の影を感じずにはいられない。
途中、北海道のアイヌ舞踊や沖縄のエイサーが映像として流れた。どうして生の歌声と舞踊を披露してもらえなかったのか、やはり疑問が残った。反対に、小池百合子東京都知事から次回大会の開催都市であるパリのアンナ・イダルゴ市長へ五輪旗を渡す「フラッグ・ハンドオーバー・セレモニー」では、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」のあと、エッフェル塔付近の特設会場から迫力ある映像が届いた。
柔道界のレジェンドであるテディ・リネールらアスリートに加え、パリっ子たちが密になって東京への労いと、感謝を伝えた。あまりに出来の良い映像だったために、国立競技場にいた私はてっきり録画だと思っていた。終了後、ライブ中継だったことを知り、愕然とした。入念なリハーサルを繰り返さなければあんな感動は生まれ得ない。東京とパリの温度差が、そのまま式典への準備にかけた温度差のように感じる。