ガマンの後に天国がやってくる、SEXと人生
人を殺したワケでもないのに、370年もこの異国の空にとどめ置かれてたまるか、との憤怒に燃え、堀江謙一さまのごとくにヨットで太平洋を横断し、我が故国日本に帰ることを心に決めました。
成功の見通しはありました。
日本にいる知人の男に優れたヨットマンがいました。その男にハワイから電話を入れて相談すると、「これまで小笠原やグアムには何回もヨットで行っているから心配ない、まかせておけ」との心強い快諾を貰っていたのです。
持つべきものは友達、でございます。人生を変えるのは運ではなく人との出会いだ、と暗闇に一筋の光明を見い出したものでございます。
いずれ15人のスタッフは軽い罪を受けて日本に戻ることになる。それを見届けた後に知人のヨットマンを日本からハワイに呼び寄せ、実行することにしたのです。ただ、万が一、沿岸警備隊に見つかり拿捕されることを考え、航路はタヒチ経由をとることにしました。
捕まった時にヨットが日本の方向を向いていなければ、操船を誤り遭難したことにできると考えたからです。
後日談となりますが、日本に戻ってこのやり口を知人に話したことがありました。するとその男は、その後真似てその通りにハワイからタヒチ経由で日本に帰ろうとしたのでございます。
男は脱税容疑で国外に逃亡しました。10億円近い税金を納めるくらいなら死んだ方がマシと覚悟を決めた「命よりカネが大事」のタイプの守銭奴でございます。
逃亡した先はハワイでした。ハワイのホテルの部屋に「死んで罪を償います」との書き置きをのこし、私が書いた筋書き通りに腕のいいヨットマンを日本から呼び寄せ、タヒチから南太平洋の航路を辿って密かに日本に舞い戻ることを実行に移したのです。
ホノルルのヨットハーバーで3000万円で仕入れた中古のヨットに十分な食料と水を積み込み、ハワイの沖から勇躍、帆を張ってタヒチへと向かったのでございました。
タヒチから南太平洋の島々を縫って航海は順調でしたが、フィジーの海で台風に遭いました。ヨットのマストは折れ、転覆し、船内の無線機は海水に濡れて使用不可能となり、水や食べ物も流され、漂流生活を送ることになったのです。
雨水で喉を潤し、食べ物は時折飛び込んでくるトビウオや、ヨットの船べりに付着したコケで飢えを凌ぎました。
屈強なヨットマンは20キロほど痩せ、“脱税男”も穿いていたパンツがズリ落ちるほどに痩せ細ったといいます。
もはやこれまで、と諦めかけた時でした。悪運強く、通りがかった漁船に発見されて助けられ、九死に一生を得たのでした。
“脱税男”は船内に持ち込んだ鞄の中に5000万円の日本円を隠し持っていましたが、お礼にと命の恩人の漁師に差し出したのは、たった1束の100万円のみでした。
「命よりカネ」の男らしい振る舞いでございます。
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