「失敗すること」をおそれる人が、昔より多くなっている気がする。誰かがなにかをやらかすとすぐさまSNSで拡散され、炎上するような風潮のせいかもしれない。「自己責任」という言葉もよく使われるようになり私たちは行動することに慎重になった。
これはそんな私たちに、優しく温かい口調で「それでいいの?」と問いかけてくれるような小説だ。
タイトルのとおり、ニューヨークが舞台のお話だ。
2010年、ニューヨークに住むヴィヴィアンのもとに、アンジェラという女性から「母が亡くなったいまなら、あなたは心おきなくわたしに語れるのではないでしょうか。あなたが、わたしの父にとって、どういう人だったのかということを」という手紙が届くところから、物語ははじまる。
そこから、舞台は1940年のニューヨークへと移る。序盤、ヴィヴィアンは能天気なお嬢様として登場する。成績が悪いという理由で女子大を放校になり、手を焼いた両親からニューヨークの叔母のもとに送りこまれる。叔母のペグは『リリー座』という劇場を経営しており、ヴィヴィアンは得意の裁縫を生かし、衣装係として居場所を獲得していく。戦争は近づいているが、リリー座の日々は怠惰でにぎやかで、めくるめくようだ。
華やかなショーガールとの友情、素敵な恋人。エドナという女優との出会い。ヴィヴィアンが衣装を手がけた舞台が成功し、彼女は浮かれる。「だいじょうぶかよ」と心配になるぐらい浮かれまくり、自分を特別な人間だと勘違いしてしまう。そうしてある日、決定的な失敗をしでかす。
この場面でエドナから浴びせられる批判の言葉は痛烈だ。あなたは何者にもなれないと言われ、ヴィヴィアンは深く傷つく。
この失敗を「自己責任」と突き放すことが、私にはできない。同じ経験はなくても、かつて自分も若さゆえの無知さや軽率さから他人を傷つけたり迷惑をかけたりした記憶があるからだ。
物語の後半では、ヴィヴィアンの長い長い「その後」が描かれる。戦争が人々の生活にどれほどの影をもたらしたのか、不自由を強いたのか。戦争には勝ち負けがあるが、さまざまなものを奪われ、決定的になにかが損なわれた人は「勝った」側にも多くいる。
私たちは、自身の失敗、あるいは選択の余地のない不幸等によって、時折決定的に傷つき、心を損なう。
それでも、生きていかなければならない。どんなに恥をかいても。大切な人の信用を失っても。愛する人を喪い、深い悲しみを抱えても。傷だらけの歪な自分のまま、生きていくしかないのだ。
なにがあっても人生は容赦なく続いていく。それは苦しいことであると同時に、たしかに希望でもあるのだと、『女たちのニューヨーク』は私たちに教えてくれる。
Elizabeth Gilbert/コネチカット州生まれの小説家、ジャーナリスト。1997年、短編集『巡礼者たち』でデビュー。2006年発表の『食べて、祈って、恋をして』は全世界で1500万部を突破。映画版も大ヒットした。
てらちはるな/1977年、佐賀県生まれ。2014年、『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。著書に『雨夜の星たち』など。