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〈チェスは男同士のもので、ベスはよそ者〉そんな世界を実力で黙らせていく…シスターフッドを越えた“人間の連帯の物語”

豊崎由美が『クイーンズ・ギャンビット』(ウォルター・テヴィス 著)を読む

2021/08/30
『クイーンズ・ギャンビット』(ウォルター・テヴィス 著/小澤身和子 訳)新潮文庫

 動画配信サービスの人気ドラマの中でもひときわ話題を呼んだ、アニャ・テイラー=ジョイ主演の『クイーンズ・ギャンビット』。というわけで熱烈推薦したいのがW・テヴィスによる原作だ。これ、物語を知らない人が読んで楽しいのはもちろん、ドラマを見たからこそ深く愉しめる要素が多々見つかる逸品なのだ。

 1960年代のアメリカ。母親を亡くした8歳のベスが、ケンタッキー州の孤児院に入れられるところから物語は滑り出す。用務員のシャイベルさんからチェスを習うや、めきめきと頭角を現し、近所の高校のチェスクラブの12面指しで勝利を収めるベス。その一方で、子供たちの気分のむらをなくすためという理由で配られていた精神安定剤によって薬物依存の問題を抱えることにもなるベス。

 やがて13歳になった彼女はウィートリー夫妻に養子として引き取られ、チェスの才能にさらに磨きをかけていく。地元の大会を軽々制したのを皮切りに、天才少女の名を轟かせ、16歳で全米チャンピオンの座に駆け上がるベス。しかし、初めての国際大会で世界最強のグランドマスター、ソ連のボルゴフと初対決し、敗れ去るのだ。

 孤児院で作った友人ジョリーン。ベスが授かった“ギフト”に気づいてくれたシャイベルさん。各地を転戦するベスにとって心強い相棒となる養母のウィートリー夫人。直感で指すタイプのベスに、過去の有名な対局の分析を指南するライバルたち。ベスに試練を与えるボルゴフ。

 大勢の個性的な人物との出会いと別れ、対立と和解を繰り返しながら、ベスがチェスプレイヤーとして、女性として、人間として挫折と成長を経験していくさまを、作者のテヴィスは言葉でしかできない表現によって繊細に立ち上げていく。ドラマで見せた表情の裏でベスはこんなことを考えていたのか、そんな発見がいくつも見つかるのだ。

〈チェスは男同士のもので、ベスはよそ者〉。そんな世界を実力で黙らせていくベスの強靱な知力と精神力ばかりでなく、才能の重荷に押し潰され、酒と薬に溺れる弱さも活写。それが、この作品を英雄的ではない生身のフェミニズム小説にし、ベスを仲間として支える男性キャラクターを配することでシスターフッドを越えた人間の連帯の物語にしている。チェスの指し方を知らなくても大丈夫。これはチェスプレイヤーのために書かれた作品ではない。人生のプレイヤーのために書かれた小説なのである。

 物語の最後、ベスはモスクワでボルゴフと3度目となる対局に挑む。ここぞという時には必ず使うオープニングの定跡「クイーンズ・ギャンビット」の構えで。彼女は果たして最強の駒であるクイーンと一体化できるか。ドラマで結末を知っている人も感動を新たにするにちがいない、テヴィスの臨場感溢れる言葉による描写を堪能してください。

Walter Tevis/1928年、アメリカ・サンフランシスコ生まれ。高校教師として働く傍ら小説を執筆。その後、オハイオ大学で文芸を教えながら創作を続け、78年に専業作家に。著書に『ハスラー』『地球に落ちて来た男』など。84年逝去。
 

とよざきゆみ/1961年、愛知県生まれ。ライター、書評家。著書に『そんなに読んで、どうするの?』など。

クイーンズ・ギャンビット (新潮文庫)

ウォルター・テヴィス ,小澤 身和子

新潮社

2021年6月24日 発売

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