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『岡山市こころの健康センター』所長で医師の太田順一郎さんは当時を振り返る。彼は山地が少年院に収容されて1年2カ月後の01年11月から約2年間、22回にわたって面接を重ねてきた。

「最初の日、面接室で向き合い、僕が『反省してるか?』と聞くと、『してません』という言葉が返ってきて、『開き直って自分を正当化しています』と続けました。即答でした」

両親の印象

 当時18歳だった山地の口調は淡々としたもので、ほとんど感情的になることはなかったという。あらかじめある程度の情報を得ていた太田さんは、彼に両親についてどんな印象だったか尋ねた。

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「母親については『いつもヒステリックで、顔が真ん中に寄ってるような、怒ってるような顔をしてた。近寄り難かった』と話しました。その一方で、父親については『アルコール依存症で、肝硬変で入退院してて、平成7年1月に死んで』との説明があり、『よく一緒にいた』『安心できた』『好き』という感情を口にしました。それを聞きながら、アンバランスだなと思いました」

 太田さんは山地に「継続的にこれから自分のことをどう考えるかということを、一緒に考えていこう」と提案した。山地も抵抗を示さずに次回の面接を希望したことで、12月に2回目の機会が訪れた。

母を殺害した3つの理由

「そこでまた昔の話を聞いて、友達がおったかおらんかったかということを聞いて、あんまりおらんかったということがわかりました。この2回目から、少しずつお母さんを殺した話について聞いていったんです」

 そこで山地は母を殺害した理由について、3つ挙げたという。

「付き合い始めたばかりの彼女に無言電話をかけたこと、自分のおカネをくすねたこと、ひどい育てられかたをしたこと、の3つを口にしました。それで、『その3つとお母さんが殺されることについて、バランスはどう?』と尋ねると、『同じぐらいの価値』と無表情で答えました。なので私が、『殺すってことは、相手の可能性をゼロにすることなんよね。それは本当に同じ?』と再度聞くと、『ああ、そうか、それは……』と考え込む反応を見せました。ある意味予想通りのその姿を見て、彼に対しては理屈とか、そういうところで勝負しないと……。情緒に訴えても、それは無理やなって思いました」

連続殺人犯 (文春文庫)

小野一光

文藝春秋

2019年2月8日 発売