「蚊も人も俺にとっては変わりない」「私の裁判はね、司法の暴走ですよ。魔女裁判です」。そう語るのは、とある“連続殺人犯”である。
“連続殺人犯”は、なぜ幾度も人を殺害したのか。数多の殺人事件を取材してきたノンフィクションライター・小野一光氏による『連続殺人犯』(文春文庫)から一部を抜粋し、“連続殺人犯”の足跡を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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CASE2 山地悠紀夫
大阪姉妹殺人事件
山地の小学校時代の同級生は振り返る。
「山地はどっかまわりを小ばかにしたところがあって、みんなで遊んでいても参加しないことが多かった。ドッジボールなんかも『なにが面白いの?』って……。それで気にくわんから、別のときに何人かでからかったりすると、今度はキレて、机とかを倒して学校を飛び出して、戻って来んかったりもようしよった」
彼が小学5年だった95年1月、肝臓疾患を抱えていた父が自宅で血を吐き、搬送先の病院で死亡する。享年44だった。その際の母や親族の態度に対し、深い憎しみを抱いたことを、後の大阪での姉妹殺人事件の法廷でも本人が口にしている。公判を傍聴した司法担当記者は解説する。
『はっきり言って嫌いでした』
「自宅で父親が吐血していたのを見て、小学生の山地が母親の職場に電話したところ、『放っておきなさい』と言われたことが忘れられないようです。その夜、母親が救急車を呼びましたが父親は死にました。さらに父親の通夜の席で母親が『死んでせいせいした』と話していることを耳にして、父親の死は母親のせいだと思い込むようになった。そのため山地は父親について『大切な人です』と表現して、いい思い出ばかり語る一方で、母親については『大切でない人ですね』と言い、『はっきり言って嫌いでした』と突き放しています」
父が死んでから、山地は学校でも“問題児”としての行動がよりいっそう目立つようになる。自分よりも弱い者に難癖(なんくせ)をつけて殴ったり、校舎の窓を割ったりするようになったのだ。