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――でも、「心が消える」ってなかなかイメージしづらいですよね。
東畑 ふつうは、心が消えたなんて思いませんよね(笑)。生活しながらなにかを知覚しているし、感情もあるわけだから。だから、この本で僕が「心」と言っているときには、かなり狭義の意味で使っています。だけど同時に、それは専門家じゃなくて、一般の人が「心がね」というときの「心」という意味でもあって、もっとも素朴な意味でもあります。
狭義の心とは何かというと、「私、傷ついてたんだな」とか「私、怒ってるな」とか、自分で自分を内省するときに、見えているものです。でも、いまはナッジのように、人間の動物的側面に働きかける仕掛けが「心のコントロール法」として脚光を浴びています。
「心が一つ存在するために、心は必ず二ついる」
ナッジが悪いわけじゃない。そういうの「も」大切です。実際、内省ってつらいんです。ああでもない、こうでもないと自分のなかでグルグル回ってしまうから。それに比べて、人間の動物的部分を活用したほうが効率はいいと思う。
でも、誰かに愚痴をいったり、自分の秘密を話したりしながら、心で心を考えることには価値があると思います。誰かと一緒にグルグルと考えを巡らせる中で、少しずつ心が違った考えに開かれていくこともあるからです。そのことを本では「心が一つ存在するために、心は必ず二ついる」と書いています。友だちでもパートナーでも先生でもいいんですが、苦しいときに自分の心を他者に預けてみる。そうすると、見失いかけた心が姿をあらわしはじめる。そういう心の本性みたいなものを今回書きたかった。