2020年、日本の国会議員のうち女性議員が占める割合は9.9%だった。世界の平均が25.5%であることを考えると、日本の政治のメインシーンに女性が進出する日はまだまだ遠いように思われる。
そんな日本政治の中枢で、女性として初めて首班指名を受けた土井たか子氏。当時の熱狂的なおたかさんブームと失脚の裏側とは。政治・ジェンダー論学者である岩本美砂子氏の著書『百合子とたか子 女性政治リーダーの運命』(岩波書店)より一部を抜粋し、紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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「山が動いた」 沸き立つ女性・市民のエネルギー
7月23日、第15回参議院議員選挙の投開票が行われた。選挙結果は、社会党が前回21議席から46議席に伸ばし、野党全体では、全126議席中90議席を獲得、非改選議席との合計で、社会党は65議席、全野党は142議席(252議席中)となり、与野党が逆転した。女性は、それまで最高の10人の二倍増以上の22人が当選し、うち社会党が11人・社会党系無所属1人、連合2人で、女性は非改選と併せて33議席となった。また社会党は、女性だけでなく、「社会党『・』護憲協同」という「ポツ」方式でも伸びた。
土井は、23日夜、「山が動いてきた」と勝利宣言し、消費税と、自民党一党支配の是非が問われたとの認識を示した。反消費税の女性パワーが社会党に集中した理由は、土井の存在だった。行く先々で「女性が変わるとき政治は変わる」「オバタリアン(*1)は、元気です」と説いた。
*1 「オバタリアン」は堀田かつひこの4コマ漫画の主人公でパワフルな主婦であり、1989年の新語・流行語大賞流行語部門金章を獲得、堀田と土井が共同受賞した
若い女性・中年女性は「土井さーん」と声を上げ、年配の女性の中からは「神様、仏様、たか子様」との声も上がったという。女一匹、男社会で対等に渡り合うカッコよさが評価された。土井は1万5600キロの遊説の旅を行った(*2)。1986年選挙の社会党への投票者は、「いわゆる『オジさん』で、50歳以上の男性で、しかも労働組合員」だったが、89年では、「女性…30代や40代といった人達、また自営業といった保守的な人達が新しく加わったのである」(*3)。
*2 「全国約1万5600㎞で46議席!」『SPA!』1989年8月2日号、14~15頁
*3 小林良彰「分析的社会党凋落史」『正論』1991年8月号、87頁
政治学者の蒲島郁夫は、1989年参議院議員選挙を典型的な「争点選挙(消費税)」だと言い、平素は自民党支持だが、そのおごりが目につくと野党に投票してバランスを取る「バッファープレイヤー」の行動を中心に、社会党支持の増大・支持なし層からの得票のゆえだと言っているが、それだけでは市民運動・女性運動・住民運動のさまざまなエネルギーが沸き立っていたことは理解できないであろう。(*4)ただし、社会党も積極的な政策を掲げたのではなく、反消費税、反リクルート、反農産物自由化というアンチで、批判票を集めたことは確かであった。また、この時期社会党の体質をめぐる記事も増えたが、社会党には政策審議に当たる政策審議委員が17人しかおらず、一省庁当たり一人以下であり、また、予算は1300万円で国会対策委員会の10分の1以下と、ヒト・カネともに公明党・共産党にさえ遠く及ばないことも指摘された(*5)。
*4 蒲島郁夫「社会党大勝は「争点選挙」化による一時減少」『エコノミスト』1989年10月23日号、56~61頁。高畠通敏・山口二郎・和田春樹「戦後革新 総括と展望」『世界』1994年4月臨時増刊、241頁
*5 西井泰之・西前輝夫「社会党研究」『朝日ジャーナル』1989年8月11日号、14~18頁。野田峯雄「絶頂・土井たか子も怯えるプロ対アマの軋轢」『宝石』1989年10月号、110頁、117頁。「危うい社会党のペレストロイカ」『朝日ジャーナル』1990年4月20日号