文春オンライン

「神様、仏様、たか子様」と熱烈に支持されたが…“首相に最も近かった女”土井たか子の変革はなぜ失敗してしまったのか

『百合子とたか子 女性政治リーダーの運命』より #1

2021/09/01

genre : ライフ, 社会, 政治

note

「最も先進的な党になる」ことを目指して

 社会党は、来る衆議院議員選挙で少しでも多くの議席を取り、政権に迫ることを目指していく。8月21日、静岡県伊東市での全国選対責任者・書記長会議で、土井は、政権の交代を求める世論に応えて、総選挙で勝利する必要があると述べた。大胆に女性の手を借り、「開かれた幅広い政党」に生まれ変わり、文化的多元主義と情報化社会という現代社会に対応する、最も先進的な党になる、とした。また、公明・民社両党に配慮して、日米安全保障条約を維持し、自衛隊の存続を認めることとした。しかし、各党固有の政策は尊重されるのであり、社会党の安保破棄・自衛隊違憲の立場は保持されることを確認している。

 そして、衆議院の512議席の過半数を野党で占めるためには、社会党だけでも180議席は必要であった。擁立候補の目標を150から180に改めたのである。約130の選挙区の7割以上で、2人当選させなくてはならない。しかし1969年の大敗以来、一選挙区に一人を立てることが常習化しており、共倒れの危険がある中選挙区で、複数擁立は容易ではなかった。とくに社会党は、落選した場合の候補者の経済的手当てが不十分で、立候補を説得するのに苦労した。また派閥が弱体化していることが、複数擁立にとってはマイナス要因だった。

©文藝春秋

 土井は、女性候補の目標を、与野党逆転を可能にする44人にしたいともしていた(*6)。180人を分母とすると24%に当たる。土井はもちろん、オーストリア社会党やスウェーデン社会民主労働党などが加入する社会主義インターナショナルでの交流や、とくにドイツ社民党との交流で、政治における女性のクオータが北欧・西欧を中心に広がり始めたことを知っていた。

ADVERTISEMENT

*6 社会主義女性インターナショナル執行委員会女性シンポジウム(1989年9月5日実施)「女性と政治」(下)『月刊社会党』1990年1月号、143頁