事故から1ヶ月後に報告を受けた県教委
県教委特別支援教育課によると、県教委への第一報は20年12月7日。学校事故の窓口である県立学校人事課に、学校から骨折のこと、そして治療費の請求を含めて報告があったという。この段階では事故から1ヶ月が過ぎていたが、県教委は事故のことを知らなかった。
そのときの学校側の説明は「腕の間をすり抜けて落ちてしまった」など、母親への2回目の説明と同じで、12月18日には、特別支援教育課の主幹に連絡が入る。12月22日、「児童生徒事故報告書」が県立学校人事課に提出される。翌日、特別支援教育課の主任指導主事に連絡が入ったという。
県教委は、救急車を呼ばなかったことについて、こう述べる。
「何日か前に救急車を呼ぶことがあったようで、救急車を呼んでも搬送先がなかなか決まらないこともあります。当時の、保護者とのやりとりの詳細は不明ですが、希望していたのに、学校が救急搬送をしていないとは、聞いていません」(特別支援教育課長)
調査が遅れたことについては、
「偶発的な事故であり、学校と保護者が揉める事案とは思っていませんでした。校長からの聞き取りはしていますが、疑義につながるような話は出てきていませんでした。レントゲン写真を見ましたが、通常の骨折とは思わなかったものの、特にそれ以上、調べていません。反省をしているところはあります」(同前)
としている。
事故から4ヶ月が過ぎ、担任から聞き取り
母親は、学校側に事実関係の確認を再三した。そのため、学校長は、事故から3ヶ月半が過ぎた21年3月26日、担任から聞き取りを行った。事故が起きたのは、「事故報告書」の通りの3ヶ所。廊下には誰も他にはいなかった。そのときの生徒の様子について、「いつもより立つのを嫌がっていた。足の変化にも気がつかなかった」。
他の教員へのアンケート調査では、
「『バーン』と音がしたそのときにケガをしたのかもしれません。もう一度見ると、生徒は座っていました。倒れた時は見ていません」
など、何らかの異変に気がついた教員がいても、事故を目撃していない。ただ、このアンケート調査では、養護教諭は対象になっておらず、保健室での様子が明確ではない。