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「できないことって…ないかも」左足を切断したスポーツ万能児は自転車と出会った

東京パラリンピック・自転車競技インタビュー #2 川本翔大選手、藤井美穂選手

2021/08/26

監督の目に留まった川本のペダリング

 高校を卒業後、障害者野球チームの先輩からパラサイクリングを勧められた。そして、試しに参加したアスリート発掘イベントで日本パラサイクリング連盟のスカウトを受けた。

 同連盟の専務理事で、東京パラリンピック自転車競技日本代表チームの監督を務める権丈泰巳が振り返る。

「足がペダルから離れないようにガムテープで固定して乗ってもらいました。すると、ペダリングがきれいだったんです。片足の人の場合、引き足が使えないので、どうしてもガン! ガン!と踏むようなイメージになる。こんなにきれいに回せるのはすごいな、と思いましたね」

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東京パラリンピック自転車競技日本代表チームの権丈泰巳監督

 そうして、川本と権丈の二人三脚が始まった。毎週金曜日の夜、川本は広島から新幹線に乗って三島へ。伊豆に住む権丈は駅まで川本を迎えに行き、土曜日と日曜日、いっしょに自転車の練習を行った。日曜日の夜、川本は広島へ帰郷。そんなサイクルをしばらく続けた。

自転車の練習に専念できる環境が実現

 当時、川本は地元の工場で働いていた。伊豆で過ごしていたあるとき、権丈はこう声をかけた。

「どこかいい就職先がこっちにあって、自転車に専念できるようになるといいよね。そういうの、どう思う?」

 川本は目を輝かせ、「ぜひ!」と即答した。

 

 そんなやりとりがあってすぐ、権丈のもとに思いもよらない連絡が入る。未登録の番号からの電話に出ると「職安の者ですが」と告げられた。

 名古屋の職業安定所からだった。パラアスリートを採用したい企業がある――そう聞いて、権丈は運命的なものを感じずにはいられなかった。

 トントン拍子で川本の採用は決まった。伊豆で一人暮らしをしながら、自転車の練習に専念できる環境が実現した。

 

着実にタイムを伸ばし、リオパラリンピックの舞台へ

 幼少期から体を支え続けてきた右足の筋力を武器に、タイムを着実に伸ばした。アスリート発掘イベントが行われたのは2015年8月。それからめまぐるしく時は過ぎ、1年後にはリオデジャネイロパラリンピックの舞台に立っていた。

 トラックの3km個人追抜(C2クラス)で8位入賞。競技歴の浅さを思えば悪くない結果と言えたが、本人は悔しがる。

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