「『今回も1位だったね』って言われてもうれしくない」
練習を重ねて記録を伸ばし、片足大腿切断クラスの日本新記録(1m39cm)を樹立した。アジア記録もつくった。
だが、走り高跳びについて語る藤井の表情はしぶい。
「いまだにアジアチャンピオンです。でも、やる人がいないんですよ。大会から帰ってきて、学校や会社の人から『今回も1位だったね』って言われるんですけど、(出場選手が)1人だから1位なだけで。別にうれしくないっていうか……」
この種目はパラリンピック競技として認められておらず、道は夢へと続いていなかった。
ただ、努力がムダだったわけではない。陸上に取り組む過程で、義肢装具士の斎藤拓と出会った。その斎藤が、自転車競技への導き役を果たす。この道は、パラリンピアンという夢にしっかりとつながっていた。
持ち味は瞬発力。短距離種目で勝負をかける
陸上から自転車へ転向したのは2014年。地面を蹴ってきた左足でペダルを踏み込むようになり、翌2015年には日本代表の強化指定選手に選ばれた。しかし、リオデジャネイロパラリンピックの出場内定を得ることはできなかった。
藤井は、強めな言葉で当時を振り返る。
「当たり前だなと思います。だって恥じゃないですか。まだ、いまみたいに走れていなかったので。出られるよって言われても、絶対に断っていたと思う。パラだから遅くても出られるんだ――そんなふうに思われるのは嫌だから、選ばれなくてよかったって思ってます」
5年後のいま、藤井は日の丸をつけてパラリンピックを走っている。選ばれるだけの実力と、胸を張って出られるだけの自信がついた証だ。
片足跳躍の高さが示すとおり、持ち味は瞬発力。短距離種目で勝負をかける。
「いちばん好きなのは、トラックの500m。そればっかり練習してきたので。メダルとかそんな大げさなことは言えないけど、なんとか8位までには入りたい」
川本は右足に、藤井は左足に、めいっぱいの力を込めて前に進む。
写真=杉山秀樹/文藝春秋
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